高校3年の春休みが明けた。
歩き慣れた高校の最寄り駅から、高校までの道のり。
「もう今年で何もかも、嫌でも“最後”がまとわりつくんだな」
そんな春風に包まれた日の中、やっぱり学校から渡される紙は、ただ1つしかない。
「進路希望調査」
先生が口を揃えて言う。
「来週から面談だから、今週中に出すように」
そんなの今渡されたって、自分の人生なんて分かるはずもなければ、たった1枚の紙で自分の人生を決められるわけがない。
それでもやっぱり、口からこぼれ落ちた言葉、「どうしよう」。

迷える時期に母が放った一言。私は命を捨てるべき?

遡ること、春休み中の私に起こった出来事。
春休みは部活三昧だった。
しかし3年生ともなれば、進路のことを調べたりするのに、スケジュール表には3年生オフの文字が書いてある日もあった。
そんなとある日、13時までの部活を終えて15時頃帰宅。
何を話していてこうなったのかは、はっきりとは覚えていないが、母親からこれを言われたことだけは、今でもはっきりと覚えている。
「あなたがいるから、私は時間を自由に使えない」

言われてすぐは、頭の中が真っ白になった。
けど、少し時間が経ってみて、はっきりとわかった。
「あれって、私に死ねって言ったよね」
それからというもの、私は母親の前で自分を押し殺し、笑わなくなった。
笑っているように見えていたかもしれないけど、心から本当に笑うことはなくなった。

信じてくれる人と母の影響力、夢に向かう自分を鼓舞して

そんな春休みが明けて、何日か経ったとある日の朝の登校の電車の中で、とある動画に出会ってしまう。
この曲が私の人生を変える1曲になろうとも知らずに。
嵐の二宮和也さんのソロ曲「どこにでもある唄。」
優しいピアノの音色と、歌詞に惹かれていた。
朝の電車の中だというのに、泣きそうになった。

この曲を聴いて、私は進路を決めた。
母親には、何も残らないよと言われたが、話し合いを重ねた結果、音楽の専門学校のAO入試を受けた。
この時から今でもずっと、自分にまとわりついて離れない選択肢がある。
AかB。どっちにいこうか。
それとも自殺するか。
私は、母親のこの一言で人生が変わった。
いや、変えられた。
言われた当初は、母親の為に死ねるなら、本望かなとさえ思っていた。
だけど今は、それは違うって思える。
母親の為に自分が死ぬ?あり得ない。
自分の人生、自分の為だけにお金も時間も使って、自分のためだけに、死にたい。

そして、死ぬ時は笑っていれたら。
私はそれで充分幸せだ、と言っても過言ではない。
けど今は、こんなにちっぽけな自分でも、ちゃんと傍にいてくれる人がいる。
ちゃんと見てくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
それでいて、「大丈夫。あなたなら、その夢絶対叶えられるから」って声をかけてくれる人の存在が、こんな自分の側にいてくれること。
周りにいてくれる人のおかげで、弱い自分にも、その反対に強い自分にも気付くことができた。
本当に感謝してもしきれません。

今でも迷ったり、悩んでしまう選択肢の中に「自殺するという選択肢」があるけど、5年程経った今ではもう1つ、選択肢が増えた。
それは、「目の前にいてくれる人の笑顔が見たい」。
今まで出会ったことのない、たくさんの人の笑顔に出逢いにいきたい。
自分で書いた歌詞や、作った作品をたくさんの人に見てもらって、笑顔にしたい。

まだまだやらなくてはいけないことはたくさんあるし、問題だらけだけど、今はもう怖いなんていって逃げない。
「大丈夫」
あの時は孤独だったけど、今は1人だけど孤独じゃないから。
自分が信じた道で、自分を強く信じ続けられる日々がこの先もずっと、続いていきますように。