大丈夫。時間はかかっても、少しずつ自分のこと、ちゃんと好きになれるから。
最近よく聞く、「自己肯定感」ってことば。
なあに?それ。持たなきゃいけないの、そんなもの。自分で自分を好きになるってよく分からない。
だけどたまにいる、自分のことが大好きで仕方ないって人。純粋に憧れるし、うらやましい。
だってそれって、もしも世界中の人に嫌われてしまっても、自分自身だけは自分のことを好きなわけでしょ。それってすごく、素敵だし最強じゃん。あーあ、私もそんな風に生きてみたかったな。
元カレからの暴言で自己肯定感を喪失した私が今、人並みに生きている
私は、20歳くらいの時に付き合っていた彼氏にたくさん暴言を吐かれた。
「お前なんか生きてる価値がない」「何もできないぐずだ」「母親になる資格はない」などなど……。
今でこそ思い出すだけで鳥肌が立ってしまいそうだが、これらは実際に言われた言葉だ。間違いなく、今でいうところのモラハラだったのだと思う。
当時の私はその言葉たちを真に受けてしまい、自己肯定感というものを失っていた。彼が言っていることが全て正しいと錯覚し、とらわれ続けていた。何をやってもダメで、人とも上手くコミュニケーションを取ることができない。こんな人間、死んだ方がマシだとも思った。
数年間、その言葉たちは私をひたすら苦しめた。
でもそんな私が、今、人並みに生きている。私のことを「かわいい、大好き」と毎日言ってくれる今の旦那と出会い、結婚し子供も生まれた。彼らは私のかけがえのない宝物だ。彼らに運よく出会えたのも、私が今日まで頑張って生きてきたからに他ならない。
そりゃあ人間だから、たまに気分が落ち込むことだってある。私だって色々な感情を抱えながら生きている。もちろん完璧なんかじゃないし、間違ってしまうことだってある。
だけど少しずつ、本当に少しずつ、自分のことを認めてあげることができている。
もしもこれを読んでいる人の中に、どうしても自分のことを好きになれない、認めてあげられないなんて人がいたら、大丈夫だよと私は言いたい。失敗しても良い、ゆっくりでも全然かまわない。他の誰でもない、自分だけの人生を生きてほしいと思う。
消えたくても自己肯定感を何年もかけてゆっくり育て、私は私を認める
少し重たい話になるが、本音を言うと、今まで何度も消えてしまいたいと思った。
それはあのモラハラ彼からの言葉だけのせいじゃない。自分のことを不必要に責めてしまった時、眠れない夜が続いた。
先の見えない真っ暗な闇に、一人放り出されたような感覚。必死で助けを求めても、誰も振り向いてくれない、孤独な夜。まるでこの広い世界中で私一人だけ取り残されたような、とてつもない絶望感。思い出すだけでもぞっとするあの日々を乗り越えて、今の私がいる。
だけどゆっくりと、私は私のことを認めている。それを自慢しても良いだろうか。
他人からは、ちっぽけな悩みかもしれない。こんなことで悩んでいる私は、きっと意気地なしに見えることだろう。
でも、みんなが当たり前に持っているはずの「自己肯定感」というものを、何年もかけてゆっくりと育てる人間もいることを分かってほしい。誰でも最初から自分のことを好きになれるわけではない。
だけど、傷付いた経験がある人は人の痛みを分かることができるように、私も人に優しくありたい。もし誰かが傷ついていたなら、優しい言葉をかけてあげたい。
思えば、それを自分自身にできていなかったような気がする。簡単なことだ。自分に優しくすればいい。傷つけてくる人がいたとしても、そんな攻撃は気にしないで、自分を守れば良いのだ。
これから、どんな自分になれるのだろう。自慢したい私。胸を張って、これからもっと自分のことを好きになろう。