中3の春、あさぎさんと私は終わった。

半分笑ってふざけていった言葉。それっきり彼女と私の間には何もない

ある日の放課後、吹奏楽部だった私は、いつものように音楽室で合奏練習をしていた。
窓からは春の涼しくて温かい風が吹いて、楽譜を揺らしていた。
まずはチューニング、ロングトーン、スケール、アルペジオ、ハーモニー、コラールと順にやっていく。

あさぎさんも吹奏楽部に最初は入部していたが、団体行動や先輩との上下関係が苦手で、中2に上がる頃には退部していた。
中3の最高学年になってから、気を遣わなくていいからか、また少し顔を出すようになっていて、その日も音楽室と廊下の間の地べたに座ってスティックで床を鳴らし、指揮をとっていた。

市の発表会と、校内発表会でしか演奏しないようなゆるい部活だったし、その時も仲が良いグループだけでの練習で、誰もそこで疑問に感じる人はいなかった。
ただ何となく、「辞めた人なのに」とか、「そんなところに座って品がない」とか、思う自分がいた。他の人もきっとそう思っているはずだと考えていた。

大体の全体練習を終えて、パート練習に分かれるために、楽器と譜面台を両手に持って音楽室を出る時、道を塞いでいるあさぎさんに、「指揮、上手だね。でも、そこ、じゃまだからどいて」と言った。
半分笑ってふざけて言った。仲が良い印のつもりだった。

それっきり、10年以上私と彼女の間には何もない。

これまでも、これからも、ずっと仲良しの親友だと思っていた彼女

あさぎさんとは保育園のときから一緒だった。お母さん同士もよく知っていた。言葉が話せるようになった頃、あさぎさんが私の名前を上手く発音できなくて、私が怒ってしまうことがあったが、仲良くなってしまえば、笑い話になった。
小学校の頃、帰り道が途中まで同じだったからか、よくお互いの家に遊びに行くようになった。秘密の話も恋バナも沢山した。
これまでも、これからも、ずっと仲良しだと、親友だと思っていた。

無視され始めは、何があったか全く分からなくて、それでもあさぎさんのことは気になっていて、嫌いにはなれなくて、また話したくて。
でも話しかけても一方通行。手紙も書いた。共通の友達に渡してもらったが、返事はなかった。読んでくれたかも分からない。クラスも違ったので学級で話すこともなく、ただ時間だけが過ぎていった。

甘々な私に鞭打ってくれた唯一の存在。彼女の笑顔をまた思い出す

きっと、私が嫌なこと、ちくちくと、ずっとしてしまっていたのだと思う。
保育園の頃から、知らぬ間にそうやって攻撃していたのかもしれない。そんな自分のことは、ずっとみんなより大人だと思っていた。皆んなが優しくて、守られていた私は、なかなか心から感謝して、心から反省し、心から変わろうと思うことはできなかった。
そんな甘々な私に、鞭打ってくれたたった1人の存在。それは大人ではなく子どもだと知らしめてくれたはじめての存在。

何が悪かったかは、結局今も分からないままだ。
全く私が考えた理由とは別の違う理由かもしれない。それはあさぎさんだけにしか分からない。心はその人だけのものだから。

今も、最後に話した情景は、脳裏に残っている。
2年程前、私の勤めている会社であさぎさんのお父さんに会った。
高校からは別々になったので、会う機会もめっきり減って、あさぎさんの顔も見なくなっていたので、彼女のお父さんだと気づいたのは、もう帰った後だった。
あさぎさん、元気にしてるかな。元気だといいな。
あさぎさんの無邪気さを、くしゃくしゃの笑顔を、この先もきっと思い出してしまう。