相続の書類に捺印をするたび、手続きが終わるとまた父が遠くに行ってしまうような気がして涙が溢れた。遠くに住む母に送り返す書類は父の生きた証を引き継ぐ一歩でもあるんだが、まだ受け入れきれない自分がいた。
お父さん優しくてよかったね。母の言葉を私はテキトーに聞いていた
私の父はとにかく優しかった。
私がスイカを食べたいといえば、散歩ついでにスイカを買ってきてくれた。
私がリビングで昼寝をしたら、毛布をかけて布団に運んでくれた。
私はそんな父の優しさを当たり前に受け止めていたが、母は「あんた、お父さん優しくてよかったね~」とよく言った。
私はそんな母の言葉を、ふんっと本当に何も思わず聞いていた。
歳を重ね大人になると、母は私に「お父さんみたいに優しい人はなかなかいないよ」と言うようになった。「うーん、そうだね」。相変わらず私はテキトーに返事をしていた。
父は静かな人だった。
読書と歴史が好きで、ブラタモリを必ず見ていた。旅行に行くと父の趣味で城などに行くこともあったが、私は大抵早くおわんないかなと思いながら付き合っていた。
シャイな人で、あまり人前に立つことは得意としていなかった気がする。家族の会話の中でも大抵母が話して、「ねぇ、お父さん」というと「うん、そうだね」と返すことも多かった。
あのときお父さんはどう思ってたんだろう、と思うことがよくある。
何より嬉しかった父からの「おめでとう」。私はどこまでも自由だった
私が大学に受かった時、就職が決まった時、ひとこと「おめでとう」と照れ臭そうに言ってくれたことを思い出す。
母が作ったご馳走を父と母と囲んだっけ。歳の離れた姉と兄は当時もう実家を出ていて、私は高校以降、一人っ子のような生活だった。
私が何歳になっても優しく毛布をかけてくれた父を私は知っている。寝たふりをして、その優しさに甘えていた。甘やかされていた自覚があった、でも勉強も就職も努力していたことを知っているから本当に嬉しそうに「おめでとう」と言ってくれたことが、私は何より嬉しかった。
私はまだ独身で子供もいないが、子供に「余計なことを言わない」ということはとても難しいことだと思う。なぜなら、人生を先に経験しているから、こうした方が絶対にいいというのがわかるからだ。
父は私のあらゆる選択に何か言うことはなかったし、我慢をさせることもなかった。
おかげで私はどこまでも自由に、人生のあらゆる選択を両親に制限されることはなかった。
進路を決めていく中で周りの友人の話を聞くと、それもまた当たり前でないことを知った。
「○○大学以上に入れって親に言われてる」
「資格を取れと親が言うんだ」
「大手に入社しないと安定しないって親が……」
聞くたびによその親はそんなこと言うのかと驚くことも多かった。うちの父はいつも私の選択を否定しなかったし、結果が出ればおめでとうと言った、出なければそういうもんだという顔をして何も言わなかった。
母はその度少し不安そうにもしていたが、「お父さんが何も言わないなら」と見守ってくれた。
私は父のことを何も知らなかった。お父さんのおかげで私は幸せです
私は父のことを何も知らなかったと思う。
多くを語らなかった、お父さんきっと幸せだったと思うよと言うのもおこがましくて、父の人生を勝手に決めることもできないが、母が言っていた「うちはお父さんと一緒になれて幸せやった」という言葉が全てで、私からも父に言えることがあるとしたら、「迷惑ばかりかけてごめんなさい、でもお父さんのおかげで私は幸せです」と。
最近私は母にこう返すようになった。
「お父さんほど優しい人は、たしかになかなかいないね」