家をでる前につけたシーブリーズの匂い。お気に入りの白いブラウスを着て、本屋さんの角を曲がった。改札からはたくさんの人。
そこから感じた1つの視線。目を向ければ、そこには貴方がいた。
それが人生で初めてだった。
目に映る貴方以外のすべてがスローモーションになったのは。

貴方の知らない秘密。赤点ばっかりだった数学の成績上がったのは…

遡ること2015年、冬。
高校受験を目前に塾を探していた私は、父に連れられ東口のロータリーを降りた。
当時は先生との相性が合わないとすぐ塾を辞めての繰り返しで、最後の砦として父が見つけてきた塾だった。受験年の冬季講習から塾に通う生徒は、初だったらしく、塾長が驚いていたのを覚えている。

冬季講習1日目。受験への焦りと共に向かった机。そこに、「こんにちは」と言ってきた貴方。
目と目があった時、私の心がこれまでにない反応をしたのを覚えている。
そこからというもの、貴方に大の苦手な数学を教えてもらう日々が始まった。

一目惚れとやらの力は強いのか、赤点ばかりだった数学の成績はみるみるあがった。
そして、気づけば貴方に会う週1回の時間が楽しみに変わり、たったの2文字で表せる気持ちは、溢れそうなくらいに、大きくなっていた。

大学の講義は眠そうに聞いてるよと言って笑う貴方も、卒業旅行で少し小麦色になって帰ってきた貴方も、私にも理解できるように問題を解説してくれる貴方も全部大好きだった。
貴方は、自分のことを全然君が思っているような立派な人間じゃないと言ったけれど。

貴方に近づきたくて、似合う女性になりたくて唇をボルドー色に染めた

当時の貴方は大学4年生で私は高校1年生。貴方に似合う女性になりたくて、大人になろうと背伸びをした。貴方を前にすると、制服という鎧を脱ぎ捨てたくなった。少しでも近づきたくて、授業前に唇をボルドーに染めた。
ちょっとだけ大人の女性になれた気がした。

気づかなかったでしょ?きっと制服にボルドーリップは浮いてたね。
塾がない日に貴方に会えた時、たった数ミリ切った前髪に気づいてくれた時、「内緒ね」って言って卒業旅行のお土産をくれた時、私がどんなに嬉しかったか貴方はきっと知らない。駅改札のまるで映画みたいなスローモーションの中で貴方と私の目が合ったあの瞬間は、今もこれからも昨日のことのように思い出す。

先生と生徒という立場上、最後まで気持ちは言えなかった。最後の授業でも、時間の関係でありがとうございましたと感謝の気持ちを伝えられなかったのが今でも心残りだ。
もし「先生」と「生徒」じゃなくてただの「大学生」と「高校生」で出会えてたら何か変わっただろうか。

日々を彩ってくれた先生に直接伝えたい「ありがとう」と「大好き」

16歳だった私は、21歳になる。
この忌々しいウイルスがない時に先生と出会えて、好きになってよかったと最近つくづく思う。マスクで覆われた今だったら、先生のいたずらっ子みたいな笑顔も見れなかっただろうし、ボルドーリップで唇をなぞることもなかった。
この気持ちを、「憧れ」だと言う人もいるし、そうなのかもしれないと思ったこともある。でもね、あんなにも毎日が楽しくて、胸が高鳴って、会えなくなる時に涙が出たのは初めてだった。

ねえ、先生。数学も恋も教えてくれてありがとう。
確かに日々が色付いていた先生との時間。でも、先生の顔も声もいつかは記憶が薄れていってしまうから。今年も冬が来る。本当は、直接会って伝えたいこの気持ちを心の深い場所にしまって、私は新しい恋をする。

先生、ありがとう。そして、大好きでした。