7月末から突然1人暮らしを始めた。というのも、6月の終わりに配属先が発表され、実家からだと通勤時間が2時間を超えてしまい、家賃補助を出してもらえることになったからだ。
物件を決めて帰った日に、もう母は涙を流していた。悲しさと寂しさを具現化したらこんな感じか、と思うほどに悲しんでいた。

追い討ちをかけるように、わたしが引っ越す日の2週間後に姉が同棲を開始すると言い始めたので、母は更にもう2回りくらい小さくなってしまっていた。
わたしの母の家庭は複雑で、両親にきちんと育ててもらえなかったと聞いた。そんな経験があったからか、わたしたちにそんな思いはさせまいと、小さい頃から教育熱心な母親だった。

母は間違いなく世界で1番怖い人。でも、沢山の愛情を注いでくれた

小中学生の頃のわたしと姉は、1年365日中360日くらい怒られていた気がする。ビンタ、ゲンコツ、お尻ぺんぺん、外に出される等々、大体のことは経験した。下の階で姉が叱られているのを聞きながら、いつ自分に飛び火するのか考えてガクガク布団の中で震えながら寝たことも1度や2度ではない。

わたしたち姉妹にとって、あのとき世界で1番怖い人は間違いなく母だった。
何でそんなに怒られていたのかはもう定かではないけれど、断トツで怒られていたのが勉強についてだったのは間違いない。自慢じゃないけれど、わたしは中学生までの成績は悪くなかったと思う。

でも、成績表を持って帰った日にビンタやゲンコツをされなかった記憶がない。成績表を受け取った日は、お願いだから事故に遭いたいと思っていた。そしたら流石に怒られないだろう、と。もちろんヘルメットまで被って、『超』安全に帰宅していたけれど。

ここまでの話でびっくりしている人もいるかもしれないから伝えておくと、わたしの母は本当に沢山の愛情を姉とわたしに注いでくれていたし、今だってそうだ。
その証拠に、姉とわたしは母(もちろん父のことも)が大好きだから。自分にも他人にも厳しい人だから。しかも、超教育熱心な母だけれど、かなりの天然だったりもする。そこが愛らしい。

部屋で書いた手紙。寂しさを倍増させそうで渡すのを辞めることに…

しかも、お料理もすごく上手。母は、わたしが尊敬している人うちのひとり。
前置きがすごく長くなってしまったけれど、手紙の話に戻る。

そう、引っ越しが終わって手伝いに来てくれた両親が帰った部屋で、両親に手紙を書きはじめた。書いたけれど、渡すのをやめた。手紙なんて渡したら、もう一生帰ってこないつもりかと、逆に寂しさを倍増させてしまうかと思って。
その代わりに、毎日ラインをしよう。時間があるときは、なるべく帰ろう。たった2時間の距離だ。

もう、姉もわたしも成人だ。姉は小学校の教員として立派に働いているし、わたしも会社員1年目なりに一生懸命働いている。60歳手前になった母はもう、私たちを叱らなくてよくなった。

大好きな母への感謝と愛情は、言葉にして伝える。それが一番だ

母の顔はすごく穏やかで、全身で愛情をくれる。成分表の六角形でいうと、天然な部分が昔よりかなり突出してきた気もするけれど。穏やかになった母を見て、寂しいとは思わない。
わたしも姉も、1年のうち360日叱られていたあの頃に戻りたいとは思わないことは確かだ。絶対に戻りたくない。

今日もうちの家族ラインは活発に動いている。父が送ってくる母と犬の動画や写真、母が送ってくる今日のお弁当の写真、駅で迎えを待つ母と迎えに行く父のやりとり。言われなくてもわかるような、今日の天気と気温のこと。

感謝と愛情は、言葉にして伝えよう。それが1番いい。手紙を送るのは、父の日と母の日でいい。それ以外は、口に出して直接伝えに行こうと、そう思う。