小学生の時、ふとしたことで姉と喧嘩になった。原因は何だったか、もうそれは覚えていない。
しかし、その時私は決して言ってはいけないことを言ったのは、今でも鮮明に覚えている。

喧嘩の延長で聴覚障害のある姉へ言ってしまった「地獄耳」の言葉

喧嘩の最中、私が小声で聞こえないように言った姉の悪口は姉の耳にしっかり届いていて、私はそれを咎められた。
「なんでそんなこと言うの!?」
聞かれていたバツの悪さと姉への苛立ちから、私は一言こう言ったのだ。

「聞こえてたんだ。地獄耳だね」
普通の姉妹げんかだったらなんてない一言。しかし、姉に対しては決して言うべきではない一言だった。私はその一言で姉の顔色がサッと変わり、そのまま泣きだしてしまうのを目の当たりにした。

姉は、聴覚障害者だ。日頃は補聴器をつけることで聞き取りや会話を可能とし、場合によっては手話や筆談を必要とする聴覚障害者だ。
その姉に、私は「都合のいいことだけ聞こえている」という意味合いを含んで、ただ姉を貶めるためだけにその地獄耳という言葉を放ったのだ。

私の悪意は、姉の難聴というハンデを的確に攻撃し、姉を傷つけるためだけに無意識のうちにその言葉選びをしてそんな暴言を放たせた。
姉に、喧嘩の延長でとはいえ、都合のいいことや秘密のことだけ聞いているかのような言い草である「地獄耳」という言葉を使うべきではなかった。

姉に謝るには経ち過ぎた時間。謝罪の手紙を書くも出せなくて…

自分の悪意と、その言葉を放つべきではなかったという事実にハッと気づいた私は泣き出した姉に何も言うことができず、父にそのような言葉を使ったことについて諭され叱られた。
それでも私はごめんねの一言を口にすることができなかった。
気まずかったのもある。
意地になっていたのもある。

しかし何より大きかったのは、後悔と自分だけが叱られた悔しさという矛盾した感情を処理できず、パニックに陥っていたことだ。
それらが落ち着いたとき、姉に謝るには時間が経ちすぎていた。

私と1つしか変わらないのに私より数倍大人だった姉は、翌日から何事もなかったかのように私に接した。
完全に面と向かって謝るタイミングを逃した私は、せめて手紙で謝ろうと拙いながらに一生懸命文字を綴った。

しかし、それも渡すことはできなかった。
何もなかったかのように振る舞う姉に、渡すのはなんとなく気まずく躊躇っているうちに月日が経ち、喧嘩のことは姉の記憶から完全に忘れ去られたかのように感じられたからだ。
しかし、私はあの日放った自分のことばを今でも忘れられず、時折思い出しては後悔の念に苛まれる。

過ぎたことだと笑ってくれる姉だから、私は罪悪感を抱えていくべきだ

もうあの喧嘩から10年以上の時が経ち、姉は結婚して家を出、私とは週に1度程度会うくらいの仲になっている。
もしあのとき渡せなかった手紙を今出すことができたら、姉はどういう反応をするだろうか。思い出して怒るだろうか。過ぎたことだと笑うだろうか。

姉のことだから、きっともう過ぎたことだと笑ってくれると思う。
しかし、もうその手紙を出せたとしても渡すつもりはない。この罪悪感は私がこれからも抱えていくべきものだと思うから。
その払拭のために、姉に手紙を出すことはもうない。