私の母は、シングルマザーだった。女で一つで私を育ててくれた、立派な母だと思う。
ところで「母には母の生涯があるはずだ。若くして離婚したのだから、もっと恋愛を楽しみたいはずなのに、私という子どもがいるからそれができないんじゃないか」と、幼い私は思っていた。だから私は母の人生の邪魔をしているのではないか、という無意識の罪悪感を抱いていた。

母の再婚に不安を抱えながらも、私は母の幸せを願って結婚を承諾した

私が中学を卒業するころ、母から「会って欲しい人がいる」と告げられた。結婚を視野に入れて交際していた、当時の母の彼氏だった。
緊張しながら彼の車に乗る時「おじゃまします」と声をかけると、関西人特有のご挨拶、「邪魔するんやったらかえってや(笑)」という返事が返ってきた。この時、「この人と、うまくやっていけるだろうか」という不安な印象を受けた。
しかし、「じゃあ帰ります」と言う勇気は、当時の私にはなかったので、大人しくその場を苦笑いでやりすごした。
一抹の不安を抱えながらも、私は母が幸せになってくれることを願って、結婚を承諾した。

案の定、新しい家庭での生活は私にとって、楽しいものではなかった。なにかと義父との間に生まれた新しい妹を優先する母親、昔気質で私との折り合いのわるい義父。受験勉強で余裕のない私。親戚が仲裁に入るような大げんかも何度もした。
騒音やタバコの煙、時間の使い方など些細なことがきっかけで、さしたる内容も収穫もないけんかばかり繰り返していた。

思春期のころの私は「母の幸せ」と「自分の幸せ」を天秤にかけていた

母の幸せを思って結婚を承諾したのに、どうして私の幸せを犠牲にしないといけないのだろう。その思いばかりが頭の中で渦巻いていた。この家にこれ以上いたくないと思って、高校卒業とともに逃げるように家を出た。

大人になった今、母とのけんかを振り返って気付いたことがある。それは、私は「母の幸せ」と「自分の幸せ」を天秤にかけなければいけないと思い込んでいたのだ。
案の定、天秤は「母の幸せ」に傾いた。けれどもそもそも天秤にかけなくても、私は私の幸せを追求できたはずだ。
だから私は母とのけんかを経て、「自分の人生の責任は、ほかの誰でもない自分がとるのだ」というスタンスのもと生きることを決めた。私の幸せは私が決める。誰かの幸せを願うことはとても素敵なことだが、自分の幸せを犠牲にして叶えられる幸せなんて、意味がないと思う。

自分の幸せを追求し、誰かの幸せのために自分を犠牲にする必要はない

現在の母は新しい家族とそれなりに楽しくすごしているようなので、再婚を承諾するという選択肢を選んでよかったのかもしれない。だから「あんな男やめて、私たちとこれからも暮らそうよ」と言う勇気が、責任感があの日の私になかったことが、結果的によかったのかもしれないと思う。

もしも私が、母と同じ立場にたつ日がきたら、自分の子どもには「私の幸せのために自分の幸せを犠牲するような選択はしないでね」と、きっと伝えるだろう。自分も他人も、それぞれの力で幸せを追求するべきだし、誰かの幸せのために自分を犠牲にする必要なんてないって、大人になった今の私にはわかる。
けんかなんてしないに越したことないけれど、時々大切なことを気づかせてくれる。まだ母との関係はぎくしゃくしているし、あの日のことをわざわざ思い出そうということもないけれども、少しは人間的に成長するチャンスをくれたのは、あの母とのけんかだったのだと思う。