小学生の頃、入学してから卒業するまで顔を合わせるたび「チビ、デブ、ブス」と言ってきた同級生がいた。
私はひどく傷ついて、低学年のうちはそれなりに反論して言い返したりもしていたが、そのうち反論することは自分を可愛いと思っていると表現しているようで恥ずかしくなり、言われるままになってしまった。
言い返さなくなってからは本当に自分がどうしようもないブスに思えてきて、鏡を見ると悲しくて涙があふれるようになった。
低い身長も、短くて太い手足も、丸い顔も、自分の容姿全部が嫌いだった。
私は、私の身体と向き合うことをやめてしまった。
親友の言葉を聞いても、可愛いなんてそんなはずはないと、反発する私
それからずっと私はおしゃれなんか興味ないし、あってはいけないのだと思ってきたので、成人式の振袖も苦痛で仕方なかった。年相応のおしゃれをしなさいと言われるたびに、その恰好をできない自分は居場所がないようで辛かったのを覚えている。
「メイクとかおしゃれとか、やりたくないって言うなら無理にとは言わないけどさ。自分なんか、って思ってるならもったいないよ。可愛いんだから」
そう言ってくれたのは、今では10年来の友人だった。
友人は人柄も優しくかつ自分の意見をしっかり言葉にするタイプで、私は友人のことがずっと好きだった。
その言葉に私は内心反発した。だってずっと自分をブスだと思ってきたのだ。可愛いなんて、そんなはずはない。
けれど、一方でこうも思った。
大好きな友人の言葉を否定してまで、小学校の同級生の悪口を受け入れる理由ってなんだろう。大好きな相手の言葉を受けとめないなんて、それこそ人として良くないことなのではないだろうか。
そんな葛藤の末、私は友人がオススメしてくれたリップを買った。淡い色で、ナチュラルな仕上がりになるとのことだった。
パッケージも美しく、頭痛薬くらいしか入ってなかった自分のポーチにリップが入っていることに最初は違和感があった。
おしゃれをすることは精神的にも物理的にも自分の身体と向き合うこと
それから3年弱。私は就職し23歳になった。あんなに避けてきたメイクを毎日して、お客様と接している。
3年の間にダイエットをし、パーソナルカラーと骨格診断を受け、コスメをあれこれ試してきた。自分のしたいスタイルと似合うスタイルが違うことも学んだ。
おしゃれをすることは精神的にも物理的にも自分の身体と向き合うことだったので、何度も何度も鏡を見ることになったが、もうあの頃の悪口は聞こえない。
友人と会えばお互いのおしゃれを褒め合うし、推しに会いに行けば「素敵!」と言ってもらえる。外見も内面も自身がついたことで笑顔が増え、誉め言葉を素直に受け止められるようになったことが一番の変化だった。
ちなみに一度無理なダイエットをして体調を崩したので、今は自分が最も健康でいられる生活を模索しながらおしゃれを楽しんでいる。推し活の継続には健康が何より大切だと、私の推しも言っていたし。
コロナ禍でなかなかイベントはないけれど、大好きな舞台を見に行くために気合を入れておしゃれするのは最高に楽しい。最近はマスクを取る日に向けて、リップとチークを研究している。
同級生に「私って結構素敵だから」と言い返せたらと妄想し私を慰める
自分の身体と向き合えなくなったあの日に戻れるなら、自分にはそんな奴のいうことを真に受ける必要はないと言ってあげたいし、同級生には自信を持って「いやいや、私って結構素敵だからさ。見当違いな悪口は見苦しいよ?」と言い返したい。
最近はそんな妄想で小学生の自分を慰めている。
そしていつか、私と似たような境遇の人を見つけた時にそっと背中を押してあげられるような人になるために、これからも自分を磨いていきたい。