あの夜があったから、どんなことがあっても私は「正解」と言い切れる。
2017年2月13日20時、私は大阪南港へひとり海を眺めに行った。
あたりは真っ暗。人の気配も何もないところでただ波音を聴きながら、対岸にある夢洲のクレーンやコンテナのあかりをぼーっと眺めていた。
夢が散り、先を描く思考が停止。これから何をしたらいいのだろう
その日、私は第一志望だった会社に落ちた。
中学生のころから、テレビ局でお笑い番組を作ることが夢だった。大学もそのために選んだ。業界を知るために、似た業界でアルバイトもした。業界の人に直接話を聞きに行った。
夢のために努力することが楽しかった。興味のないこともネタになると思って沢山の知識と経験を蓄えた、つもりだった。
結果は2次面接で玉砕。あっけなく夢が散った。最終面接ならまだしも、2次面接。
先を描く思考が停止してしまった。これから何をしたらいいのかわからない。
何がだめだったのだろうか。私のこれまではなんだったのだろうか。
夢洲の景色を見ても自問自答するばかり。南港の海を眺めても何も解決することはない。ただ、波音を聴くと呼吸のリズムが整われた。
21時、場所を移動し、缶酎ハイを片手に心斎橋筋商店街をただひたすら歩いた。
酒を飲んで、忘れる。その時できる精一杯の防御だった。
整理できていない頭を抱えながら長い商店街を歩く。横を向けば、店の前で酔いつぶれている若者が楽しそうにはしゃいでいる。
「いいな」
「いいな」
あの時、本当にそう声を出しながら、ぐしゃぐしゃに泣いた。
非常にカオスな夜だけど、ただ今日の夜の経験で沢山のことを知れた
どこかで理性が残っていたのか、女友達に電話をし、来てくれることになった。
何を話したかは何も覚えていない。ただ、味園ビルに連れて行ってくれて、ひたすら泣きなが酒を呑んだ記憶がある。
その日はラブホテルで友達と一泊した。ラブホテルのチョイスは友達だ。今思うと瀕死の私を少しでも笑顔にさせようという彼女なりの配慮だったと思う。
一緒にお風呂に入って、一緒にベッドに入った。ただただ泣いている私に友達はいつも通り、接してくれながら寄り添ってくれた。
友達が寝た後、私はベットで今日の夜を回想した。
第一志望の会社に落ち、南港へ海を見に行き、心斎橋商店街を酒を呑みながら歩き、友達と味園ビルへ呑みに行き、今ラブホテルで友達と寝ている。
側から見ると、非常にカオスな夜である。ただ今日の夜の経験で沢山のことを知れた。
経験から知り、感じたことは全てが正解で、次のステップへのお守りに
南港の海が呼吸を整えてくれること、夢洲の夜景が綺麗なこと、心斎橋商店街にいる若者が羨ましいこと、味園の店員さんは私たちが店を出る時「行ってらっしゃい」と行ってくれること、彼女は辛い時に一緒にラブホテルで寝てくれること、これは私だけが知っている私の経験である。
それはとてもとても貴重なことな気がした。私はそこから何かを知って、感じている。そこに否定や間違いはなく、私が感じたこと全てが「正解」なのである。そしてそれは次のステップにいくまでのお守りにもなっていた。
夢の世界に入れなかったことから立ち上がるのは、この夜からずいぶん先の話になる。
立ち上がるまでの間、体重は10キロほど落ち、それから色んな景色を見た。正直、あの夜の悔しさ、やるせなさは20代の中で最初で最後にしたい。
ただそれ以上に、私だけが知っている「正解」は今後も絶対培っていきたいと思う。
私だけの「正解」。それがあったから、今生きている気がする。