元気ですか? お父さん。
「お父さん」と声に出して呼びかけた7年前、あの日が最期でした。
お父さん、どうして私は変わらないのでしょうか。お父さん、どうして私は変われないのでしょうか。

7年前、私はお父さんとの最期のあの日を今も忘れることができません。お父さん、私が病室の片隅で泣いていると言ってくれましたよね。「なんで、泣いてるんや、どうしたんや」と。
私は、あの日、父のいつもの入浴を手伝うために、母についてきました。普段は、手伝いもしない、見舞いにもたまにしか顔を出さない、そんな親不孝な娘に対して、父は怒りもせず、ただ、いつも顔を出すと、「ありがとう、よう来てくれたな」そう、言ってくれました。

入院している父の姿は、私の知っている「大きな姿」とはかけ離れていた

あの日、父の姿は、私の知っている大きな背中とはかけ離れ、とても小さく、とても弱く、そして、もうすぐ消えてしまうのではないかと思いました。
私の中でとても悲しく、辛い、あの光景がいまだに私の中に焼き付いています。
そして、私はその姿を見て、また悲しく涙を流し続けました。

私は、いつもそうでした。私は、いつも逃げてばかりでした。
人間関係、仕事、家族、何一つ、面と向かって立ち向かおうとしなかったのです。怖かったです。
今もなお、怖くて仕方がないのです。人から発せられる、あの独特な空気、私への冷たい視線、裏で何を言われているのだろう、私のことを誰も気にも留めていないのだということへの寂しさが、ここまで「私」という存在を醜いアヒルのまま、成長させてしまったのでしょうか。
小さな頃から、私はいつも人の顔色、そんな私の周囲の人たちの気持ちを汲もうと、必死でした。それでも私は、私なりに毎日を楽しくも過ごしていたような、そんな記憶が少なからず私にはあります。
いつからでしょうか。
私は叱られる、ということにとても敏感になってしまいました。いつからか私は、褒められる、そのことだけが私を動かす原動になっていたような気がします。

中学受験に失敗し、親の期待に応えられなかったことが私を蝕み始めた

中学へ進学する私は、受験生となりました。そして、私はその時に初めて、挫折という悲しみを覚えました。
父のために、母のためにと一生懸命頑張ってきたはずなのに、私は第一志望校へ合格することができませんでした。
その瞬間、私の中で生まれた、期待に応えられなかったというその事実が、害虫のように少しずつ心を蝕み始めたのです。

中学1年の夏、私はイジメを受けました。それはとても些細なことであり、今となってはどうしてそうなったのか、もうあまりにも昔のことだから、分かりません。思い出したくないのかもしれません。
あれから私は、「友」でなく、勉学に勤しむこと、そのことだけに集中することにしたのです。ただ父に褒められたくて、ただ母に褒められたくて、そのためだけにひたすら中学時代から高校時代、私は勉強を熱心にしていたことだけは覚えています。

ですが、残念なことに父も母も、テストの点数や成績でいくら秀をとったところで、面と向かって褒めてもらえることは、生涯において叶うことはありませんでした。そうして、また私の心は蝕まれていったのです。

本当は、父が面と向かって褒めていなかっただけで、周囲にいつも自慢していてくれたことを後から耳にして、父のその素直ではない性格をよくよく知っていたくせに、理解しようとしていなかった自分に腹が立ったことは言うまでもありません。

勉強の甲斐もあり、私は有名な大学を、父の喜ぶ姿が見たいとそう願い、無事入学を果たすことができました。父との最期が近づくなんて、そんなことを少しも想像していなかった私は、過保護な父の気遣いに毎日反抗しては、どうしてこんなにも話が通じないのだろう、と腹を立てておりました。
いつのまにかあの頃の、勉学に励んでいたあの頃の自分は、跡形もなく、消え去ってしまい、ただ日々を好き勝手に生きていたのです。

心を蝕んだ虫は、「私の心」に寄生したまま離れてくれない

それでもやはり心を蝕んだ虫は、私の心に寄生したまま離れなかったのです。
私は中学時代のあの頃から、ストイックなあの性格から、重い重い精神病にかかってしまって、いまなお14年もこの病気と闘っています。

父がこの世から旅立ったあの日でさえも、私は変わらず生きてきてしまっているのです。
私は、褒められたい、認められたい、私という存在価値を評価してほしい、そう願うばかりで、いつも同じことを繰り返してしまってました。

私は、こうして、お父さんへの出せなかった手紙を綴っている今、この時も、私はいつまで経っても変われていないなぁ、そう深く感じております。

学生時代も、社会人になってからも、私は周りとうまく馴染むことができません。それは、私の個性である、存在価値である、そう勘違いしていたのかもしれません。自分の目が向けられていないその先に何も気づかないまま、甘えて、逃げていたのかもしれません。

お父さん、お父さんは私のことを最後まで信じていてくれましたよね。
お父さん、私はもう29歳になりました。お父さん、私は何一つ変われていないのです。
お父さん、ごめんなさい。
でもね、お父さん、私、今を生きています。
今もまだ私の中で残っているお父さんとの思い出、忘れないで生きています。

お父さん、私、これからもお父さんの娘として、胸を張って生きてもいいですか。お父さん、私本当の笑顔を取り戻せるように。いつか、お父さんに会えた時、その時に私が娘でいたということを誇りに思ってもらえるように。その日まで、待っていてくれますか。