なんてことない昼下がり。
いつものコーヒーチェーン店に行けば、いつものコーヒーの香ばしい香りで胸の中がいっぱいに満たされる。
笑顔の店員さんから受け取った、いつも通りのカフェラテを一口ふくめば、いつでも私は高校3年生の冬にタイムスリップできる。

初対面で不躾な質問をした彼と、仲良くなるまで時間はかからなかった

彼との出会いは高校3年生の時。
「〇〇大学志望なんだって?」
初対面で不躾な質問を寄越してきた彼。
お互いに似た匂いを感じたのか、お互いの家族のことなどプライベートなことまで、突っ込んだ話をするような仲になるまで、時間はそれほどかからなかった。
高校卒業後、彼は関東の大学に進学し、私は進路実現のために浪人をした。
「浪人なんてやめとけよ」
彼とコーヒーチェーン店のテラス席で、チェス盤を介して対峙している時に、彼は優しくも忠告をしてくれた。私は寒さに肩を窄めながら、マグカップに入ったカフェラテを一口啜ってから、苦笑いをしてみせた。

頑固だった私は、彼の忠告はありがたく受け取りながらも、結局1年間の浪人生活を送った。
その間、何かにつけては連絡を取り合い、深夜だろうが構わず電話をした。
そうして1年後、私は晴れて志望校に合格し、関西で大学生になった。
志望校合格を伝えたメッセージに返ってきたのは、彼からの電話だった。
その電話で、彼から「好きだ」と告げられた。
私は突然のことで頭が追いつかず、とりあえず数日待ってとだけ伝えて電話を切った。
正直、嬉しかった。私も彼が「好き」だった。
でも、私は数日後、彼との電話でその気持ちを隠した。

恋人にはならなかったけど、自分の汚いところを見せられるのは彼だけ

遠距離が難しいと感じたのも嘘ではない。でも、それ以上に私は彼と恋人として、一緒に歩む未来が思い描けなかった。
それは、お互いがあまりに似ていたせいでもある。家庭環境や考え方、自分のアイデンティティを形成している要素が私と彼とではよく似ていた。いい意味では共感できるけれど、悪い意味では傷の舐め合いだった。それを私は求めていなかった。
私の彼への「好き」の気持ちは、どうしても恋人に対してのそれにはならなくて、そのくせ、彼に彼女ができて、ツーショットをSNSで見かけるたびに、胸は締め付けられるように苦しかった。
大学生活を経て、私にも恋人ができた。
それでも、恋人に見せることのできない自分の汚いところを見せられるのは、彼だった。彼は彼で、彼女ができたけれど、何かにつけて連絡をくれ、彼女の愚痴や悩み相談など、何時間でも電話をした。
二人で初めて居酒屋でお酒を飲んだ時、彼は多分かなり酔っていたのだろう、
「お互い恋人と上手く行かなくてもさ、パートナーになるって道もある訳だし」
ぽろりとこぼした彼の言葉に、私は曖昧に苦笑いするだけで、そうだね、とは言えなかった。
彼の言葉がどれほど本気だったかわからない。それでも、その言葉が私の心に住み着いてしまった。
彼との関係を歪に感じ始めた頃、私は恋人と別れた。彼の方も、彼女と不穏な雰囲気が漂い始めていた。
彼の状況を電話で聞くたびに、私はなんとも言えない心苦しさと、抱きしめたい衝動に駆られた。彼の心情を察すると涙が溢れ、何度も「じゃあ、私と付き合おうよ」という言葉が喉元まで出かかった。彼が精神的に参ってしまった時、すぐに駆けつけて抱きしめたかった。
けれども、結局その言葉は、彼に伝えられることのないまま飲み干され、私のお腹の中に吸収、消化されてしまった。

彼を友人として支えたいとは思いつつも、湧き上がる思いはもうない

今、私は自分の綺麗なところも、汚いところも全て見せられるパートナーを得た。パートナーと過ごす時間に、私は何にも代え難い平穏と幸福を感じている。
彼の方は、彼女とも別れ、精神的にも少々不安定な日々が続いているらしい。
そんな彼のことを今の私は、友人として支えたいとは思いつつも、少し前のような湧き上がる思いはもうどこかへ消えてしまった。何か彼にあったとしても、パートナーの一大事と重なれば、パートナーを優先するだろう。

この選択が正解だったのかは、正直わからないし、そもそも彼に抱いていた想いが恋だったのかもわからない。タイミングが悪かったといえばそれまでなのかもしれない。
しかし、私は今あるパートナーとの幸せを愛だと思いたいし、大切にしたい。それに、少なくとも私は、彼との今の関係性に満足をしてしまっている。

懐かしいな、と私は頷きながら、カップに少し残ったカフェオレをグイッと飲み干す。
コーヒー豆の心地よい苦さがふわっと香った後から、ミルクとシロップの甘ったるさが残った。