私には、好きな人がいます。でも、もう会えません。
決してこの世からいなくなったわけではありません。世界のどこかで、元気に生きています。でも、直感でわかるのです。
もう会えない、と。

なぜあの時、また会えるからその時に、なんて思ったのでしょう。

友達の送別会にふらっと現れた彼は、ピアノを弾きにやって来た

それは、夏のよく晴れた日でした。標高1000メートルの山奥の農園、心地よい風の吹き抜ける夕方。

柔らかな太陽の光が差し込む台所で油の熱さと戦いながら、私は大量の野菜の素揚げを作っていました。そんな台所に、くしゃっとした笑顔と共に、どこからともなくふらっと現れたのが彼でした。
彼は、ピアノを弾く人です。それはそれは、とても美しい音を奏でます。

その日は、友達の送別会の日でした。たくさんの人がやって来ては、ご飯をつまみ、語り、音楽に耳を傾け、帰ってゆくのでした。
彼はその友達の友達で、彼もまた友達を送り出すために、ピアノを弾きにやって来たのでした。ただ、彼の都合上、1時間だけのライブ。たった1時間のために遥々やって来た彼の、友達を想う心がとても美しかった。

彼のピアノも、私は別の用事があって少ししか聞けなかったのだけれど、少しだけ聞けたその音色は、歌う人の声を最大限に引き出し、優しくさっと包み込んで、するりと聴く人の心の隙間に溶け込ませるのでした。まるで、魔法を見ているかのようでした。
彼とはその時は一言二言、言葉を交わしただけでしたが、私には直感で感じるものがありました。でもそれが何なのか、わかりませんでした。

会いに行ったのに話せない。浮かんできた「何のためにきたの?」

それを確かめたくて、1週間後、別のイベントに彼がやって来ると聞き、私は予定をこじ開けて、会いに行きました。
今度は前回の逆、私の都合で、そのイベントに長時間いることができませんでした。彼とは顔見知り程度、軽く挨拶をしただけで、恥ずかしさが勝って全く話せませんでした。彼を目で追いかけながらも、仲良くなった他のイベント参加者と他愛もない話で時間をやり過ごす始末。
そんなこんなで、帰らなければいけない時間が刻々と迫っていました。

「何のために、わざわざここまで来たの?」
もう一人の私が、私に問いかけました。
人間、追い詰められれば行動できるもの。このまま帰る訳にはいかないと、勇気を振り絞って最後の最後で話をしに彼のもとへ行きました。少しだけ、話せました。でも、残念ながらピアノは聞けませんでした。

気付いた。今から目を背けて未来に期待しても、今は前には進まない

なぜあの時、意地でもピアノを聞かせてほしいと、言えなかったのでしょう。
彼は言いました。
「今から無理やりにでも、ピアノ弾かせてもらえるように頼んで来ようか?」
私は答えました。

「ううん、いいの。また会わなきゃって意味なんだよ、きっと」
また会えるかどうかなんてわからないにもかかわらず、また会える保障なんてどこにもないにもかかわらず、なぜそんな言葉を並べたのでしょう。
今ピアノを聞かなかったら、また会える口実になるとでも思っていたのです、きっと。
「いま」から目を背けて「みらい」に期待しても、「いま」はこれっぽちも前には進まない。
だって私は、「いま」しか生きていないのだから。
「いま」を見つめること。そして、「いま」を前に進めること。私には、私たちには、それしかできないのです。

あの日に戻れるのなら、あの日に戻れるのなら。

ちゃんと、ピアノを聞かせてほしいと、言えるでしょうか。
ちゃんと、好きだと、言えるでしょうか。
ちゃんと、「いま」と向き合える自分で在れるでしょうか。