もしもタイムスリップ出来るなら、全てを手に入れていたあの夜の戻りたい。

何も言わず押し込めた気持ち。決心の先に待っていたのは地獄で…

2017年春の夜、池袋のラブホテルの一室で、私は彼が浴びるシャワーの音をBGMに「これは夢だ。早く醒めてくれ」とひたすら泣いていた。
当時付き合っていたUくんの携帯が鳴り、中を見たいという安価な好奇心が押さえられなかった。パスワードは私の誕生日、そんな鍵で開く扉に私を苦しめるものが入っていようとは思わなかった。
しかし実際にLINEを開くと、セックスフレンドと思われる女性の名前がずらり。スクロールする指先はスムーズなのに、私の指先はひどく冷たい。全身は硬直し心臓の音だけがやけに響いていた。

「Uくんもそっち側だったのか」
過去の彼にも度重なる浮気をされ、「こんな思いはもう嫌だ!」と決意し、浮気をしなさそうなUくんを選んだはずだった。大学で出会い、卒業してからもサークルの集まりで時々会う彼は女性慣れしているようには見えなかったし、私といるときは至極幸せそうな顔をしていた。会っている間は繋いだ手を片時も離さないほど、私一筋のはずだった。

当時の私に強さがあれば別れも選べたはずだが、これから二度とUくんのような愛情表現豊かな人に出会える自信はなく、何も言わずに押し殺すことに決めた。
そんな決心をした私が辿ったのは、地獄の日々。何も知らない彼は、度々飲みに出かけ夜には連絡がつかなくなった。

旅行の夜。彼が握ってくれた手と他愛のない会話が今でも忘れられない

事実を知る前は何も気にはならなかったが、もうそんなことは出来ない。
「今頃は、きっと女を抱いている」
夜は悪い想像ばかりが駆け巡り、いつしか携帯を握り締め、睡眠薬で無理やり眠りにつくことが日常になっていく。もしかしたら私こそがただのセフレで、本命の彼女が別にいるのではないかと頭がよぎったこともあったが、Uくんの態度から到底そんなことは考えられなかった。

その年の夏、休みを合わせて二人で軽井沢旅行に行った。
夜は宿泊していたコテージの周辺を少しだけ散策。月夜に照らされた、薄暗い一本道。右手はUくんがぎゅっと握ってくれたまま、私たちはゆっくりと歩き出した。

他愛のない会話しかしていないが、私は今でもあの光景を忘れることが出来ない。
彼は私だけのものでは決してないし、きっとこれから先もそうだろう。だけど今夜だけは、この世界で二人きりになったようで、この世の全てを手に入れたような高揚感でいっぱいだった。
私が一歩踏み出して問い詰めたらすぐに終わる脆い関係を、私は愛と呼ぶことしか出来なかった。

たとえ幸せに向かっていても、幸せで笑みが溢れることはなくなった

それから2年後、私たちはあっけなく終わった。あの軽井沢での一本道を最後に、私は本当に壊れる寸前まで行ってしまった。
このままではいけないと最後の勇気を振り絞り、彼を突き放した。別れてから今日までの日々は、「幸せな夢から醒めた時の絶望感」を毎日味わっている。

だけど少しずつ、夜に泣き喚くことがなくなったり、睡眠薬がなくても眠りにつけるようになったりしている。側から見たら、幸せに向かっているのだと思う。
だけど、涙を流す日々と引き換えに、幸せでつい笑みが溢れることはなくなった。何もない一本道が、永遠に続けばいいなんて思うことはなくなった。これが、幸せなんだろうか。

今ではもう、あの泣き喚いていた夜ですら恋しい。もしも全てを手に入れていたあの夜に戻れるのなら。私の選択は一つだけだ。どうせ愛してしまうのだから。