SNSを使用してたら、見たくなくても見えてしまう、旧友の結婚した報告。
それに加えて、ネットを使用してたら、常に広告として上がってくる〇mia〇などの婚活アプリの宣伝。
なぜこれほどまでに、世は結婚にこだわり、結婚してるのがあたかも勝ちみたいな流れになってるのだろうか。
事実、人類も動物であり生命なのだから、子供を世に生み落とし?栄させるのがこの地球に生まれた使命なのだろう。
その為にはまず一緒に子育てする相手を20代で見つけて、結婚しておくことが、人間として産まれてきた宿命なのだろうか。

一時的な感情や雰囲気に流されて、一生を共にする相手なんて選べない

ただ、私にとって一体結婚とは何なのかよく分かってない。
ふわふわしたなんだか暖かいんだろうなぐらいのイメージしかできない。
きっとね、深く考える機会がなかったから。
それに、私は20代半ばの数年を世界中旅して、恋や結婚とかけ離れた生活が長かったからかも。
国にもよるけど、海外を旅してたら年齢なんてほとんど聞かれないから、自分がもう適齢期だなんて、これっぽっちも考えてなかった。

まだ一生を共にしたいと思えるパートナーに出会ってないのが一番大きいけど、私自身まだまだ成長段階で、成長した先にさらに見えてくるモノがあるんじゃないかと、30手前にしてもなお思ってしまう。

一緒に成長しあえるパートナーと出会えたら、それはとても良いことなんだろうね。
寂しいから結婚するとか、ただ年齢が29歳だとか、その一時の感情や雰囲気に流されて一生を共にする相手なんて選べないってのが事実。

だから、結婚がゴールだと思ってるのなら、婚活パーティやら婚活アプリに精出して、条件で結婚したらそれは理にかなったことであるから良いんじゃないって素直に思う。
でも、ヒトって条件だけで選べないし、確かに欠点はたくさんあるのが当たり前だけど、結婚したいがために色々妥協を繰り返して、もういいやって結婚するのも違うなって思っちゃうから、今の私にはまだ先の話なんだと改めて思う。

沢山の人と関わってきたからこそ、知ってしまった理想と現実

そんなこと言ってたら一生結婚出来ないよって言われるのがオチなんだけどね。
目に入れても痛くないほど好きで、ただ、あなたの瞳を見てるだけで嬉しくって心身ともに高揚して、愛の結晶を作りたいだなんてなんだか夢以上の話なのかもしれないけど。
一緒に結婚生活の苦楽を乗り越えたら愛しさが増して、歳を重なるごとに尊敬に変わっていくのが結婚の理想の姿なのだろうか。

飛躍するけど、結婚した先の子供を産んで育て上げるとか、考えれば考えるほど、未熟な自分がそんなこと出来るのだろうかと思ってしまう。
考えずに産んで、子供と一緒に成長すればいいじゃないって、そうなのかとふと頭をよぎったりする。

別に子供がいらないなら、結婚せずにパートナーがいれば、それはそれで結婚してないから安心感は得られないのかもだけど、それもありなんじゃないかと考えてしまうことも多い。
好きだったら一緒にいたらいいんだし、嫌だったら一緒にいなかったらいいって思考になってしまう。
この歳になると、ほんと沢山の人たちと関わりあって理想と現実を知ってしまったからだろうか。

何も考えなければ楽だけど、結婚に関しては後悔だけはしたくない

結婚するときはとても愛しあって、一緒に人生を歩んでいきたいと思っていたんだけど、結婚生活を重ねていくうちにすれ違い、結果熟年離婚に追いやられる夫婦を聞いたりすると、私の結婚のタイミングが来るまで、考えなくて良いんじゃないって自分を納得させる日々。

でもね、フランスとかだったら結婚せずに子供を作り一緒に育てていくことも多いみたい。そんな中でのプロポーズは一番のプレゼントなんだって。
あぁ、やっぱり結婚ってそんなに良いものなの?!
色々考えちゃうからこじらせてる私、何も考えなかったらもっと楽なのに。
だけど、後悔だけはしたくないのよ、特に結婚に関しては。