私には、結婚願望がない。
昔も今も変わっていない。
はっきりとそう自覚したのは、小学生の時。

当時の私には、いわゆる「将来の夢」があった。
その夢を叶えるために、と、これからの人生を計算していたときのこと。
大学を卒業するのが、22歳でしょ?
そこから働くでしょ?
結婚、するなら早くしたほうがいいけど、そうなるとたった数年しか働けないの?
ここではっきりと自覚した。
自分がなりたいと思っている仕事をするには、結婚は障壁でしかない。
自分が行きたいと思う道に、結婚はいらない。
そうだ、私は結婚しない。結婚する意味がわかんない。
この感覚を今でも持っている。

恋愛は噂話となり騒がれる田舎生活は、恋愛や結婚観の土台を作った

そしてそれには、もう1つの理由があった。
恋愛でまわりに騒がれるのがとてつもなく嫌いだ、ということ。
私は、田舎の小さな街で育った。
通っていた小学校は、6年間ずっと1クラスで、卒業するまでみんな一緒。
そのなかで誰かを好きになろうものなら大スクープだった。
「〇〇ちゃん、△△くんのことが好きなんだって」
この一言が恋愛や流行に敏感な女子グループの耳に少しでも届けば、たちまち質問攻めに合う。
これが本当でも、嘘でも、関係ない。
それを誰かが親に話し、親から親へ伝わっていく。
いつしか誰もが知る噂話となり、私たちを見る目は好奇の目へと変わる。
めんどくさ。興味ない。うるさい。
この人達に知られたら、どんな辱めを受けるのだろうか。
噂話に花を咲かせる人達をみて心のなかで思っていたこと。
こうして知らぬ間に、恋愛感情は消え失せていった。
恋愛をするなら、誰にも悟られることなく隠し通さなければ。
これが私の恋愛や結婚観の土台となった。

私が結婚について考えるタイミングは、仕事に行き詰まっているとき

社会人となって、同級生や会社の先輩が結婚したり、妊娠したという話を耳にするようになった。
年齢的にも、私も結婚について考えることが多くなった。
けれど、考えるタイミングはいつも仕事に行き詰まっているとき。
弱さや悔しさを和らげてくれる存在としていてくれたら、幾分か楽になれるのだろうか。
素直に甘えられる人がいたら、この気持ちを昇華させることができるのだろうか。
いい人が現れたら、結婚を機に引っ越しをしよう、そしてこの仕事をやめよう。
そんなことを思っていた。あきらかに逃げだ。
今考えている結婚は、逃げにしかならない。何も生まれない。

じゃあ、メリットはなんだ。
私にとって、結婚してよかったと思えるであろうことはあるのか。
考えた。
私が作ったご飯を食べてくれること。
心が弱ったときに抱きしめてくれること。
以上。
愛とかそんなものは、微塵も出てこなかった。
しかも、いいと思える相手の姿がまるで想像できない。
ぼんやり影があるだけで、なにもなかった。

結婚するもしないも自由。価値観に素直に生きたっていいじゃないか

今現在の私は、結婚について、こう思う。
私が本気で支えたい、共に時間を共有したい、そう思える相手がいたときは結婚してもいいと思う。でも、3ヶ月で始まって終わるテレビドラマみたいに、その間だけ恋人や夫婦でいられたらそれでいいのだ。
結婚が必ず必要だとは今も思っていない。
独身貴族最高!な気持ちもとても良くわかる。
親や親戚は、「結婚」というワードをちらつかせてくるけれど、自分の価値観を押し殺してまで結婚する必要はどこにもないと思う。ましてや、そこから発生する家族間の関わりなんてとんでもなく必要ない。
自分の価値観に素直に生きたっていいじゃないか。
結婚、するもしないも私の自由。

私の人生だもん。