小学生の頃、私のあだ名は「ブー子」だった。
豚のように太っている女の子、という意味で、妹が付けたあだ名だった。
妹は線が細く、スタイルも良いと言われていた母の血を継いでいた。
私はどちらかというと筋肉質で、食べれば食べるほど脂肪も付く、割と一般的な体質だった。

「太っている」と言われてきた私は、痩せている自分に固執するように

小学生の頃は食欲も増し、背も大きかった私は、周りに比べて少し大きく見えた。
細くてスタイルがいいと周りからも言われていた妹にとって、私は醜い存在だったのか?
理由は大人になった今でも聞くことはできないし、聞きたいとも思わない。
太っている、痩せろ、そんな事を大学生の頃まで言われ続けた。

今は私も家庭を持ち、実家を離れて仕事も子育てもしていて以前より自分の体の声も聞けるようになってきて、妹や母に「太っている」とは言われなくなった。
だが、産後のダメージでまた自分の体がコントロールできなくなり、今度は夫までもが、
「もう少しお尻が小さくなればなあ」
「前のほうが痩せてたよね」
などとチクチク言ってくるようになった。

私は「痩せている自分」に固執するようになった。
痩せている理想の自分像、というのはこれからも一生持ち続けていくだろう。
でも最近、
「あなたは痩せてるよ」
と言ってくれる人が現れた。
私はすぐに否定した。
長年、妹や母や夫から言われ続けた言葉を消せないし、一生背負う言葉だと思っていた。
でも、その人は「あなたは痩せてるよ」と事あるごとに言ってきた。
いつもまっすぐに、伝えてくるのだ。

コンプレックスを純粋さで解かしてくれるような人に感じた心地よさ

純粋無垢で見返りもなく伝えられるその言葉は徐々に、耳、脳、傷へと届けられた。
世間一般的に言うと、まだまだ太っているのだが、その人からするとどうも私は細いらしい、とまで思えるようになっていた。
その人は私のコンプレックスをその純粋さで解かしてくれるような人だった。
声色、表情、言葉選びが自分のそれと似ており、なんだかもう一人の自分がいるような感覚さえする。

なんなんだろう、この人は。
なんて心地良い人なんだろう。
この人と一緒にいたらどんなに心を満たしてもらえるのだろう。
この人と一生を添い遂げられたらどんなに幸せだろう。
そんな思いまでぽろりとこぼれ落ちてしまった。

だけど、私にはすでに契約を交わした夫がおり、夫との間に小さな子供も授かっている。
モラハラ気質で、幼い頃から親に愛情を受けられなかった夫は私に依存しており、殺したいほど好きだという。
10年続いた夫との生活は、決して不幸しかなかったわけではないが、違和感しかなかった。

依存するが故に、私の人格までもコントロールしようと思いやりの欠片もない言葉を感情のまま私にぶつけ、そしてその後すぐに傷ついた私の心を撫で、愛してると囁き抱きしめる、その繰り返し。
私も、そんな彼の歪んだ愛情に依存していたのだ。
でももう、見返りを求めない純粋な愛に触れてしまった。
歪んだ愛の中で、あと私は何十年生きていかなくてはならないのだろう、そう考えたら絶望さえした。

結婚とは運命。私は結婚を通して学ばなければいけないことがあった

10年前は私のすべてを捧げても尽くしていきたい、傍にいたい、愛し愛されたい、揺るがない夫への愛を確信して、自分の思いに責任を持って届け出にサインしたものだ。
未来は希望に満ち溢れ、羽が生えたように身軽だった。
でも今は、私の人生の大きな障害として立ちふさがっている。
こんな事、誰が予想できたのだろうか?

結婚とは、運命なのである。
私の人生になくてはならない出来事だった。
私は結婚を通して学ばなければならないことがあった。
そしてその学びが終わった今、私は新たな人生を歩もうとしている。

自分の心と向き合い、結婚という人生のターニングポイントに区切りをつけようと行動している。
子供は?資金は?仕事は?そもそも生きていられるのだろうか?
不安や恐怖で体が硬直する、そのくらい結婚は人生のすべてだった。

この文章を読んでくれたあなたは結婚に対してどんな思いがありますか?
今ある自分の人生を悲観している方はいらっしゃるのだろうか?
すべての人生に意味があり、良くも悪くも誰が何を言ってこようと決めるのはあなた自身です。
自分の気持ちをどうか、どうか、大切にされてください。