最近、周囲で結婚の話題が多くなった。SNSで結婚の報告、友人の婚活の話、結婚について親戚からやんわりとした催促……エトセトラ。周りでその手の話題が増えれば、嫌でも意識はする。
だが、私は「お嫁さんになりたい」的な憧れも結婚願望がない。幸せな話は私もうれしい。でも、自分に置き換えるとどうしても違和感が抜けない。それはとある過去を今でも引きずってしまっているからだ。

自分が大好きな人たちが喧嘩をしていた。私は早く大人になりたかった

私が小学校五年生の頃、両親が離婚しかけた。理由はよくある嫁姑問題だった。その一年ほど前から父方の祖父母と同居するようになり、祖母は母に対してちょくちょく口を出すようになった。
母のパートのこと、私たち子供の子育てについてだったり、母が作る料理に対してだったり、母が仕事で帰るのが遅くなったときや遊びに行ったときなどは本当にすごかった。それが関係しているのか、両親も当時喧嘩が多かった。

あるとき、母から「お母さんとお父さんが離婚したら、あなたたちはここに残るんだよ」と言われた。私は何も言えなかった。ショックで涙も出なかったと思う。
その一方で「ああ来たか」と妙に冷静な自分もいた。要因の一つに自分も入っていたから不甲斐なかったし、悔しかった。
自分が幼いが故に、自分が大好きな人たちが喧嘩をしている。自分が幼い故に、喧嘩しているのを止められない。自分が幼いが故に、大人の決定に従うしかない。あのときほど、早く大人になりたいと思ったことはないと思う。
結局、両親は離婚することもなく現在に至るのだけど、幼い私にトラウマを与えるのには十分な出来事だった。

「家族」。たとえ法的に守られていたとしても、壊れるときは一瞬

私は両親も祖母も大好きで、祖父母と同居することになったときは、大好きな人たちと一緒に暮らせることがとても嬉しかった。だから余計、怖くなってしまった。自分にとって大好きなものは大好きな人同士が、仲良くできるとは限らないということが。
自分が大好きなだけで、向こう同士はうまく行くとは限らない。自分にとって大好きな人同士が、ときには大好きな家族を壊していくのだ。
家族なんて、たとえ法的に守られていたとしても壊れるときは一瞬だ。そう思ったときに、将来もし自分が結婚して子供ができたとき、その子も今の私と同じ気持ちを味わうくらいなら、家族なんていらないと思ってしまったのだ。

まあ、そんなことがあって、二十年たった今でも結婚に対してポジティブな感情がないまま今に至る。昨今は「結婚=幸せ」という考えは定説ではなくなり、「結婚していなくても幸せ」という話もよく上がってきた。
私自身も仕事があって、お給料をいただいて、趣味の映画や美術館、美味しいご飯を食べて、たまに友人と気ままに話したりして、十分に幸せだ。でも、逆に最近は思うことがある。結婚がマストではなくなった今、どうして人は結婚するのだろう?

たとえ壊れるリスクがあったとしても、人は結婚するのかもしれない

その疑問については、家族にまつわる出来事で結論づけることとなった。
あるとき父が手術で入院することがあり、私と母は手術に立ち会うこととなった。そのとき病院の方に「ご家族の方はこちらへ」と言われたとき、ふと思った。「あ、ここから先は家族じゃないと進めないのか」。
通常で考えて、きっと私は両親より長生きする。そうするともし自分が一人だったら、自分が今際の際に立ったとき、誰かがそばにいることはないかもしれない。そう思ったときに「ああ、この孤独に立ち会ったとき人は結婚するのか?」と。合ってるかどうかは置いておいて、自分の中で結婚に対して納得が行った。

人はみな一人だ。でも、独りは怖い。
もし法的ないしは、精神的に繋がった誰かがいたら。それはもう独りじゃないのかもしれない。もし自分が今際の際に立ったとき、または相手が今際の際に立ったときにそばにいれることを保障されるのであれば、たとえ壊れるリスクがあったとしても人は結婚するのかもしれない。
まあ、そんなことを考えつつ、まとまりのない語りを長々と綴った私は、まだしばらく「一人」を満喫するだろうけど。