先日、職場の男性に「喧嘩売っとんのか!?」と凄まれた。
もうすぐ50歳にもなろうオヤジが、20代ぼちぼちの女子にオラオラ口調で一方的に怒鳴りつけるように言い放ったのである。
「喧嘩売っとんのか!?」その言葉に、社内が騒然とした
社内が騒然とした。
大多数の人間は何が起こったかわからず硬直。一部の人間は怖がってドン引き。一部の人間は静かにトイレやタバコに行くふりをして逃亡。
上司が私と怒鳴りつけてきたオヤジ社員を引き離し、ひとまずことなきを得た。
この一件で私は「このオヤジ、私より幼い哀れな人だな」と思うと同時に、いい意味で自分を中心にして生きてこられなかったことを、自分自身に謝りたいと思った。
怒鳴られたのは休憩明け直後。
休憩中にかかってきた友人からのSOS電話をなんとか終話して、デスクに戻ってきたところ。友人を追い詰めた奴に憤り、私はイライラモード。そのイライラでいつもよりキーボードを強く叩いていた。「やばい…落ち着かなければ…」と思いつつ仕事をしていたのを、例のオヤジ社員は喧嘩を売っていると解釈したらしい。
彼にとって「職場で不快なことがあるのは全て私のせい」らしい
それも私から見れば「他人のフリ見て我がフリ直せ」といったブーメランパターンだ。
仕事中の物音の話をするならば、このオヤジ社員の方がいつもうるさいのである。歩く時はいつもドタバタと足音を鳴らし。デスクのものを動かすときも、悪びれずにガタガタと音を立て。キーボードだって叩かれて、いつ壊れるかと思うほどの悲鳴をあげている。
それが彼の平時運行だ。周りも気が散って迷惑しているので、上司も注意しているが改善するつもりはないらしい。
隣のデスクの同僚にいたっては耳栓装備で仕事をしている。そんな同僚を見かねて私からやんわり言ったところ、何かと嫌味を言われたりつっかかられたりするようになった。
その矢先のできごとだった。
なんだかんだ、この事件の後も私への突っ掛かりは続いている。
ざっくり取りまとめて言ってしまえば、今の彼にとって「職場で不快なことがあるのは全て私のせい」らしい。自分がご機嫌でいる権利を、他人に明け渡している哀れな人がそこにいた。
自分の世界をよくするのは自分。自分のご機嫌取りは自分でする
かといって、私も自分のご機嫌取りができるようになったり、何かあったときに自分で行動や考え方を変えたりできるようになったのは、ここ最近のことだ。
このオヤジ社員のように、誰かのせいにして自分の首を絞めた記憶がないわけではない。
「いつのまにか成長してるぞ、自分」と嬉しくなる。
それと同時に、他人の都合や態度に振り回されて、自分を蔑ろにしていたと思い直した。
そして、過去の自分に申し訳なく思った。
もっと自分中心に「自分がどうしたいか?」とか「自分が気分良く過ごすためにどうありたいか?」とか考えて生活すればよかったな。
そしたら昔の自分はもっと生きやすかったかもしれないな。
これからもブレるし、他人のせいにすることもあると思う。
それでも「自分の世界をよくするのは自分。自分が一番大事」と思って生きていこう。
相手を誤解して不機嫌でいるくらいなら、自分の楽しいことして過ごしましょ。