皆さんは「愛かお金か」という問いにどちらと答えるでしょうか。愛はお金では買えないが、お金がなければ生きてはいけない。そして、これは私が「愛」を選ぶきっかけになった幼き日の話。
大好きな母の一番はいつも兄。ある時母に癌が見つかり余命宣告…
私は小さい頃から不幸体質なんだと思う。
田舎町に生まれ育ち、二つ離れている兄、両親、母方の叔母の五人で暮らしていた。兄との仲は、小学生の頃、一度の大喧嘩をしてから、最低限度の会話しかしないぐらいの悪さだった。両親は、私が中学生になった頃には、特別仲が悪いというわけでもなかったが、別居のちに離婚。そして、四人で暮らし始めた。
兄は本当にどうしようもない奴で、父がいなくなった生活では、兄が絶対的上の立場だった。母からは、一番可愛がられて、妹の私よりも兄が絶対優先。母も母で、私の味方でいた事はなかった。初めて好きな人が出来て相談した時も、
「その人はダメ。やめなさい」
と、理由は教えてもらえず、否定ばかり。
その時は本当に好きだったから、葛藤もした。それでも、母には嫌われたくなかった。嫌われたくなかったから、母の言う事ばかり頷き、従ってきた。
そんな私も高校生になった。高校も母に決められ、私が行きたい高校ではなかったが、友達にも恵まれ、部活動にも励み日々楽しく過ごしていた。
そんな中、2年生になったある日の事。母の癌が見つかった。
余命は、もって一年。あまり時間はないことを知った。
信じられなかった、いや、信じたくなかった。それでも、母なら大丈夫、手術をして、きっと良くなる。でも、涙が止まらなかった。
母の癌を知った兄は違った。いつもと表情を変えずに、普通に生活していた。私の中で苛立ちばかり覚えた。
通った病院。母は最期に一度も見舞いに来なかった兄の名を呼んだ
一番、母から可愛がられてきたのに、なんで平然といられるのだ。意味が分からない。
この悲しい感情と苛立ちで、今すぐどうにかなってしまいそうになったが、そう思ってる暇はない。出来るだけ長く母の側にいよう。そう決めてからは、学校から病院まで、自転車で片道三十分を毎日通っていた。
そして、余命より早くに、母は天国に旅立ってしまった。母が、息を引き取る前に最期に言った言葉は、兄の名前だった。
私は息を呑んだ。結局、最期まで、母は兄の事ばかりだった。兄は一度も見舞いには来たことはない。息を引き取るこの瞬間にさえもいなかった。ずっと、一番私が寄り添ってきたのに、それでも母は兄を選んだ。
どれだけ憎んでも憎みきれない、死ぬのは母ではなく兄の方なんじゃないか、とさえも思ってしまった。でも、今はひたすらに泣く事しか出来なかった。
数年経ち、私も結婚をした。離婚してしまったが、二人の子供を授かった。
親からの愛をあまり知らずに育ってしまった私だからこそ、女手一つだけれども、二人には、悲しい思いはしてほしくない、愛をちゃんと注いでいきたい。そんな二人は大きくなっても、私と兄とは違い、とても仲が良かった。それだけでも嬉しかった。
でも、嬉しい反面、あの頃兄とちゃんと向き合っていれば、二人みたいになっていたかもしれない、と思う事もあったが、私が結婚して家を出た時から兄は離婚した父と一緒に暮らす様になり、私も父から兄の現状を少し聞かされる事があった。
私もまだ兄を許したわけではない、だから、会わなくても問題はなかった。とそう思っている中、一本の電話が掛かってきた。父からの連絡だった。
兄の自死を知った時、憎たらしかった兄が抱えていた事実を知った
「もしもし、どうしたの?」
いつも通り電話に出る。きっと、いつもと同じ親戚の集まりだろうとか思った。
「今日、兄が自殺した」
言葉が出なかった。あんなに死んで欲しいと思ってた兄が、自ら命を絶ってしまったなんて。慌てて、実家に帰り、父と合流した。
そこには、遺書だけが残されてた。どうやら、兄の自殺の原因は、職場でのイジメが問題だと、遺書には殴り書きで書かれていた。
兄と久々の再会が、こんな姿とは、思いもよらなかった。
父から、詳しい事を聞き、遺書も読ませていただいた。あんなに憎たらしかった兄が、知らない間に辛く、苦しみ、それでも耐えて、でもやっぱり限界を迎えてしまった事実に、私が、兄に対して抱いてきたこの感情が、素直に言えずにいた、この幼い心が、罪悪感と共に今でも消えるはずはない。
私と兄に必要だったもの、私と母の間に必要だったもの。愛に恵まれなかった私だからこそ、一番大切だと思えたもの。