あの日に戻れたら。
そう思う“あの日”は、いくつか思い浮かぶ。
そのいくつかの“あの日”を思う時は「とある“あの日”をもう一度味わいたい」という、言うなれば、「おかわり」のような気持ちからではなく、今ある過去の事実を変えたいという気持ちがそばにある。
叶うわけない、戻りたいあの日。叶うならば、とても戻りたいあの日。
苦い思い出となってしまったその日を、そっくりそのまま再び経験するのは辛いが、やり直せるのならもう一度その日に戻りたい。
関係が変わっていなくても。あの日の出来事だけは、塗り替えたい
もしも今晩眠って、目が覚めると「平成」と書かれたカレンダーの掛かる部屋にいたら。
日付を見るに、6年前の今からもう少しあとの12月だったら。とある人に、もう一度会いたい。そしてその、とある過ぎた“あの日”に、その日にしたこととは違うことをして、事実を変えたい。
結果として6年の月日を経て、現在に於いてその人との関係が変わっていなくても。あの日の出来事だけは、塗り替えたい。ただの私の自己満足の独りよがりだとしても。
6年前の12月、私は大学2年生で20歳になって少したったばかりで、来る1月に成人式を控えていた。未成年と成人の狭間のラインを越えたところであり、大学生活も折り返したと言える頃だった。
振り返ると「何かを越えていく」イメージがそこかしこに漂っていたような、そんな時期だった。そして一つの「越えるか、否か」がちらついていることがあった。
何を越えるか?20歳は未成年と成人の狭間のラインを越えたのなら、ここでは友人から恋愛対象へとシフトしてしまうかの狭間のラインだった。
友情と恋の狭間のラインを越えるか否かを考えていた、大学の他学科の同級生のその彼とは出身県が同じだった。他学科ではあるものの、1年次の共通課程で知り合い、教員志望の彼が我が学科の授業を取る兼ね合いで連絡を取るようになった。
そしてそのうちに、同郷であることもあってか授業以外でも会うようになって、次第にそれとなくお互いに好意がある気がしていた。
ラインを越えるか否かは気になるものの、焦る必要はない、と思っていた矢先に彼の気持ちが先に私に伝わってしまった。しかし私は答えを誤ってしまった。それでそのまま、2人とも伝えるタイミングと答えることを誤ったまま、すれ違ってしまった。
言ってしまったが最後もうやり直せないような気がして、二人して「良いお年を」ではなく「ありがとう、でもさようなら」なんてことになってしまった。あの日の2人は、未熟過ぎた。始める前に、終わらせてしまった。
彼から、真剣で真っ向からの拒絶を受け取るかもと考えたら怖かった
それでも彼は、もう一度だけ会えないかと連絡をくれた。それなのに、あの日の私はそれを拒んだのだ。それも「私が、会いたくない」などと言って、自分だけを守ったから。それが、6年経って尚も悔やむことになるとは思わずに。その日の自分を守ることで精一杯で。
あの日に彼の勇気を汲んで、話を聞いていたら。恋には上手くできなかったとしても、友人としての彼も失うこともなかったのではないかと思う。それ以来、連絡は取れず、同級生としてもいられず、離れてしまった。
その後、数ヵ月が過ぎて進級した翌年の授業の席で彼を見かけ、その席の隣が空いていた。始業ギリギリに着いたが為に、ちょうど座れそうな席はそこしかなかった。やむを得ない形で相席させてもらい、それをきっかけに「久しぶり」と挨拶くらいでも出来れば、なんて思ったのだが、私は勇気が出なかった。
数ヶ月前に、己のした徹底的な遠ざけぶりを思い出すと、ただとにかく同級生としてもう一度と関わりたいということすら許されない気がしたのと、今度は自分が「俺が、もう会いたくない」と遠ざけられるのではないかと怖かった。あの、真面目で不器用に私に気持ちを向けてくれた彼から、真剣で真っ向からの拒絶を受け取ることになるかもと考えたら怖かった。
結局、その日はどうにか座れた別の座席から、あの12月は逃げるように目を反らして、遠ざけた背中を見ていた。まだ始まったばかりの3年次の学校生活で何度この背中を眺めて、あの日の選択を悔やむだろうかと思いながら。
そうしてそのまま、私は授業がどんどんと減り、卒業論文の為にだけ学校へ行くだけとなり、彼を見かけることはなくなった。
4年次の、卒業論文執筆のために通っていた図書館で一度や二度くらいは見かけたかもしれないが、もう約2年も経つ終わってしまった話を、必死に論文に取り組んでいる最中に持ち込む暇も、隙もなかったから、少しばかり胸を痛めながら本棚の陰で目を伏せたかもしれない。
私を真剣に思ってくれた同級生を失ったという事実だけが残った
きっともう、彼の中には私はいない。論文や試験がなかろうと、あの日の拒絶を受けて、彼の中でもきっと決着がついてしまったに決まっている。あの日に勇気を出せた彼が、その2年の間に再び勇気を出して私に繋がりを求めて来なかったのだから、せめて同級生としてでも繋がりをもとうとなど思わなかったということなのだ。
彼を最後に目にしたのは、本当に学生生活も最後の最後、卒業式の日の式典後の校舎での雑踏のなかでだった。もう連絡先も消えてしまったその人に、会って、言葉の交わせる最後の機会だったと思う。しかし、そこでも私は勇気など出ずに、駅へと向かうバスに乗ってしまった。
「卒業おめでとう」も「先生にはなれた?」も「故郷へ帰るの?」も「元気でね」も「あの日は、勇気を出してくれたのに遠ざけて、離れて、ごめんね」も、言えないまま。
それからの6年間、ドラマのように街の雑踏の中でばったり再会することも、眠って目覚めたらあの日に戻っているということもなく、私を真剣に思ってくれた同級生を失ったという事実だけが残った。当時交わしたメッセージの履歴も、連絡先そのものも残っていないのに。
もしも、あの日……彼と私の思いがすれ違ってしまった日、もしくは、彼が勇気を出してくれた日、それか、授業の隣が空席だった日……せめて、卒業式の日にでも戻れたら、一言だけ伝えたい。
「私、あなたとずっと友だちでいたかったよ」と。
いつか、何かの折に巡り逢うことが出来た時には、その日をあの日のようにはせずに「善き“あの日”」として刻みたい。