私は罪を犯しました。その罪は消えることなく、私の心にいつまでも残っているのです。
ただ、罪といっても「犯罪」といったものではありません。

大学の階段に私の母が座り込んでいたのに、私は授業を優先した

あれは確か6年前のこと……。当時、大学3年生だった私はまだまだ未熟で(今でも十分未熟ですが)、とっさに起こった事に対応できる心の余裕はありませんでした。
いつも通り1時間目の授業に行こうと準備をしていると、近所に住む友人からLINEが届きました。
「○○(私の名前)のママが階段に座り込んでいるかも……」
その内容を見て、どういうことだろうと思いつつも大学へ向かっていました。
友人が教えてくれた通り、母が階段に座り込んでいました。どうしたのか聞くと、足が痛くなって動けないとのこと。
今考えれば、一緒に病院に行くなり、もしくはタクシーを呼ぶこともできたはずなのに、私は大学の授業を優先してしまいました。結局、母は出先の姉に助けを求めたのでした。

今でもその時の話しになる度に、姉が「あの時大変だった」と愚痴を漏らしているのを聞くと罪悪感でいっぱいになります。母と姉は、私があの時授業を優先したことを記憶していないのか、それとも気を遣っているのか分かりませんが、私を責める言葉をかけることはありません。
今なら大学の授業よりも母を真っ先に優先できるのに、どうしてもそれができなかったことが母に対して、謝りたくても謝りきれない出来事になってしまいました。

1回の出席にこだわらずに、母と一緒にいてタクシーを呼んであげれば

母はいまでも足の具合がよくなく、医者に通っています。あの時の出来事が足が悪くなったきっかけあるので、「足が痛い」と言う母を見ていると、その場から逃げ出したくなってしまうのです。
もしあの時に戻れるのなら、タクシーを呼ぶなり隣にいてあげるなりしたいです。1回の出席にこだわる必要がなかったと思うと、さらに申し訳ない気持ちになります。

地方の短期大学に入学して、渋谷の大学に編入した私。編入するのには成績がある程度の基準になっているとのことで、私も両親も、大学の授業を大切にすることが大学生である私の一番のやるべきことでした。渋谷にある大学に通学するには、1時間ほどかかります。徒歩10分で通えていた短大時代とは大きく生活スタイルも変わっていました。
満員電車にも乗ることが嫌でしたし、広い教室での授業もなんだかしっくりこない。だからこそ余計に気が張っていたのかもしれません。
これは唯一、私を救う言い訳のようなものです。他の人が聞いたら呆れるのでしょう。それでも私はそうだと信じたい、いや信じなければ救われないのです。

私には「授業よりも大切なものがある」と、今ならはっきりと言える

お母さん、お姉ちゃん、どうかひどい私を許して下さい。きちんと謝ることもできずに過ごしてきている私を許して下さい。いつも頼りっぱなしな私を許して下さい。
短期大学では、最優秀学生に選ばれたことでプレッシャーもありました。当時の私は俗にいう「真面目ちゃん」。学校をさぼることなく授業中は教授の話を聞いて、一生懸命ノートをとる学生でした。
バイトもせずにただただ勉強をして、よい成績をとることに力を入れていました。その後はなんだか渋谷での大学生活はそこまで楽しいものでもなく、もともと朝が苦手だった私は遅刻もするようになったし、友達と上手くいかず授業を休むことも多少の後ろめたさはありましたが、短大時の「真面目ちゃん」な私の影はどんどん薄れていきました。これが周りから見たら普通のことかもしれませんが、私にとってはかなり大きな変化となりました。

今ならはっきりと言える。授業よりも私には大切なものがあると。その想いを胸に留めておいた状態で「あの時に戻りたい」。
強く願うと同時にここで自分が抱えていた罪を告白することで、重たい罪を軽くしたかったのだと思います。