彼はスーツがよく似合う人だった。脚が長くて、背が高くて痩せていたから。
彼は会社の先輩で部署は違えど、近くの席に座っている人だった。彼はいつも梨とホワイトティーの香りがする香水をつけていたから、彼が近くに来ると甘い香りがした。

第一印象は苦手な人。でも好きにならない方が不思議だった

大学を卒業して、初めて働いた会社で彼に出会った。
第一印象は軽そうな人、それからおしゃべりな人だった。新入社員研修を終えて開催された、他部署合同の新入社員歓迎会で出会った彼は私の苦手なタイプで、なるべく関わらないようにしようと思った。
けれど次の日、部署に配属されて、私の席に案内されると、近くにその彼がいた。心の中でまあ、世の中、そううまくいかないよねと少し思ってしまった。

そんな第一印象の彼は軽そうという印象はそのままだったけれど、毎日を過ごす中で話しやすいだけじゃなく、よく私を気にかけてくれる人なのだと気づいた。
社会に出て間もない右も左もわからない私にいつも気さくて話しかけてくれて、上司に送る社内メールの本文の話や社内の事情などを教えてくれた。そんな彼を好きにならない方が不思議で、私はすぐに彼を好きになった。

けれど、彼には彼女さんがいるらしいと他の先輩から聞いていたし、なんとなく彼女さんいそうだなと私も彼に対して感じていたから、私は彼が好きなんだとはっきり気付いてしまっても、好きだという気持ちを伝えるつもりもなかったし、今の関係のままでいいと思っていた。

そんなある日、彼は会社を休んだ。風邪とか引かない人だったから少し心配になり、彼と仲のいい先輩に聞くと、ちょっと休むと言ったきりで詳しく教えてくれなかったそうだった。私はとても気になって、自分から「体調、大丈夫ですか?」とLINEを送った。そうすると「全然平気だから、気にしなくていいよ」と連絡が来た。
なんだか素っ気ない印象を受けて、お大事にしてください、と伝えてそのLINEは終わった。
なのに、その日の夜、お酒を飲んでいたらしい彼が急に電話をかけてきた。
「今、友達と飲んでてさっき解散したんだけど、これからルリ子の家に行っていい?」

彼に道案内をしているうちに、戸惑いよりも会いたい気持ちが膨らむ

急に家に来るなんてと、はじめはすごく戸惑い、「急に言われても困ります!話したいことがあるけど、今度でいいので気にしないでください!明日も仕事ですから、今日はまっすぐご自分の家に帰ってください!」と断っていたけれど、そんな遅くならないよ、とか、そんなこと言われたら気になって帰れないから、と言われて上手く言い返すことができないでいると、彼は私の家の最寄駅に着いてしまい、家の方へ案内をしているうちに、私の中に彼に会いたい気持ちがむくむくと出てきた。結局、彼は私の家に来た。

彼をインターフォンの映像で見た瞬間からすごくドキドキして手が震えた。その緊張を隠しながら、いつも通りに彼に話しかけて平静を装っていたけれど、心臓がうるさくて身体がとても熱かった。
私の部屋に入り、リビングに座った彼は不意に「さっき言ってた話って何?」と切り出した。
彼を部屋に入れることを決めたときに、好きと言うことを伝えようと私は覚悟を決めていた。けれど、とても緊張していて、目に涙が溢れてきているのを感じた。
それでも、今しか言えない、伝えなきゃと強く思ったので、「私、あなたに彼女さんがいることは知ってるけど、あなたが好きです。別れてほしいとかないし、付き合ってくださいとも言いません。どうこうなりたいとかもなくて、ただ、いろいろ考えて伝えないでこの気持ちをしまっておこうと思ったこともありましたけど、やっぱりとても好きだからどうしても伝えたかったんです」と言った。

私は知らなかった、彼がスイートチリソースのような人であることも

一息に言い終えると、彼はいままで見たことがないような優しい笑顔で、「ありがとう、正直、すごく嬉しいよ」と言ってくれた。
好きだと伝えたら、その気持ちを受け取ってもらえた。それが嬉しくて、私は彼に触れたいと思った。
「手に触れてもいいですか?」
「いいよ、おいで」
そう言われて初めて彼に触れた瞬間、すごく満たされて、私は幸せだと感じた。

やせているのに、手の指はずんぐりしていて、爪は少し横長で、子供の手のようなだとその手を見て思った。私よりもずっと大きなその手がとても愛おしかった。
今思えば、その時の彼はスイートチリソースの甘みしか私には見せていなかった。
私は知らなかった、彼がスイートチリソースのような人であることも。
スイートチリソースが辛いことも。そう、私はまだ恋に恋をしていて、恋が何かも知らない、世間知らずの女の子だったから。