あの日に戻れたら、2016年のちょうど今頃に戻りたい。
時は霜月。札幌は初雪が早く、辺りは真っ白になっていた。当時大学院生だった私は、3キロほど離れた女子寮から45分の道を歩き、大学に着く頃には何度も雪に転倒していた。
講義が休講になった。私の隣では、震える女性の声が聞こえてきた
そんなある日、私は1限の講義に出るために早起きをして大学へ向かった。しかし、周りに人がほとんどおらず、掲示板を見ると休講になっていた。
せっかく早起きしたのに、と思いながら私は広い講堂で1人スマートフォンを眺めながら時間を潰していた。するとどこからか少し震えたような女性の声が聞こえてきて、その声の主を辿ると学部生のようであった。
片手にスマートフォンを持ち、もう片方で溢れ出る涙を押さえながら、隣には判例セレクト六法を置いていた。彼女は法学部のようだ。じっと見つめるのは悪いから、私はドアの後ろで彼女の話を聞き入った。
話の内容から恋人だかバイトだか知らないが、人間関係の失敗のようだ。歳上だと思われる男性に対して、「もう電話切ったらどうですか?」と、震える声で問いかけていた。
1限が終わる10時15分を過ぎてもその通話は続いており、学生がどっと講堂に入って来たことから私は通話を聞くのを止め、研究室へと向かった。同じくらいのタイミングで彼女はトイレへ向かったようだが、ストーカーは良くないと思い、見届けるのを止めてしまった。
この年は大学院生になって初めての年というのもあり、一気に大人になったような気がしていた。1つ歳を重ねて、大学院に残るという選択をしただけなのに、学部の後輩やまだお洒落の分からない新入生が一気にかわいく見えるようになった。
先程の彼女も、かわいく見えた後輩の一人だ。私は研究室に移動しても、講義が終わって家に帰っても、彼女のことが心配で頭から離れなかった。
優秀で完璧に見える人でも、いろんな「悩み」を抱えている
そんな私も、多くの人に支えられながら学生生活を送ってきた。苦手な情報学の講義では、与えられた課題を上手くこなすことが出来ず、周りの友人に教わることも多かった。一緒に講義を受けていた友人の一人は、いつも私の隣で自分の講義を犠牲にしてまで付き添ってくれていた。
その他、講義に出れない時は内容を教えてくれる人がいて、体調不良で意識を失い倒れた時は、救急車を手配し、病院まで寄り添ってくれた先輩がいた。私は人の支えなしにはとても一人暮らしなど出来ない人間なのだと悟った。
そして、周囲を見渡すと、これは決して私だけではないということが分かった。外から見ると優秀で、人間的にも完璧な人が実は重い病気を抱えていたり、大変な悩みを抱えていいたりする。
大学に通うことが出来ず、休学を繰り返したり中退される人も少なくない。最悪なパターンとして、生きるのを止めてしまった人もいる。だからこそみな、離れた地では支え、支えられながら生きてきた。
私は人に助けられてきたのに、隣で泣く女性に声をかけられなかった
先程の女子学生の話に戻すと、私は通話が終わるのを見届け、まずは辛いのに大学に来たことを褒めてあげて「大丈夫?」と、言葉をかけてあげてから悩みを聞いてあげるのがベストだったのだと思う。
こういう類のものは、一人で抱え込んで心身的不調を起こすのが最も良くない。私は人生の先輩として、たとえ見知らぬ人であっても後輩が悩みを抱えていたら、寄り添ってあげるべきだったのだと思う。
私は多くの人に助けられながら生きてきたのに、私は周りがそうしてくれたようには出来なかった。今でも時々この時のことを思い出し、なんて図々しい人間なのだろうと思ってしまう。だから今では少しでも悩みを抱えている友人がいたら、すぐに連絡するように心がけている。
もしあの日に戻れたなら、私はあの一人で辛さを抱えながらも大学に来た後輩に寄り添い、納得行くまで存分に話を聞いてあげたい。そして、一人で抱え込むことはないと、しっかりと伝えてあげたい。