私たちが話す言葉は、彼の国の言葉でも、私の国の言葉でもない

留学していた時、気の合う韓国人のクラスメイトがいた。
私たちはよく、子どもの頃に見たアニメのシーンを回想して笑ったり、時には政治のことや、自分のコンプレックスについても話をした。

私たちは、お互い相手のことを気に入っていたと思う。皆とクラブやバーに行くのは少し気が引けて、まじめな話が好きで、恋愛の話をするくらいなら冗談を言い合いたい。
自分の恥ずかしいくらいピュアな心に、彼が同じくらいピュアな態度で接してくれたから、私は嬉しくて、過ぎていく時間が宝物のように感じられた。

しかし、私たちが話す言葉は、彼の国の言葉でも、私の国の言葉でもないのだ。二人で未来を歩むには、並大抵の覚悟では足りないだろう。私はそれをわかっていたし、気の合う彼のことだから、彼も同じように考えていたと思う。

具体的な日付を決めない、曖昧な約束。それが意味したこと

彼がいよいよ帰国するという日、彼は真剣な顔で、韓国と日本は近いのだと言った。
僕が旅行に行くのも簡単だし、君が韓国に遊びに来るのも簡単だと。
あまりに回りくどい表現に、私が顔をしかめていると、彼がしばらくして「また会おう」と言ってくれた。

具体的な日付を決めない曖昧な約束は、私たちがこのまま別れることを意味していた。
だけど私は、彼の中に、私との続きがあったことがとても嬉しかった。

友人の一人が好きだと伝えてくれたのは、私が帰国してすぐのことだ。
これまで恋愛をこれっぽっちもしてこなかった私にとって、それは奇跡であり、大事件だった。留学先でのことは、始まらなかった恋なのだから忘れよう。私がえらそうに人を選ぶべきではない。そんなことはわかっていたのに、結局私は、彼を振ってしまった。

彼に伝えた理由は「好きな人がいるから」。その時ようやく、ああ私は、やっぱりあの彼のことが大好きだったのだなと実感した。

私が友人を振ったことは、彼の口から瞬く間に広がり、女友達からは理解できないと怒られ、なぜか私に好きな人がいるらしいということも皆に知られていた。
好きな人は誰なのかと何回聞かれただろう。 不器用過ぎる私は、頑なに言わなかった。留学生同士の恋を、よくある恋だという言葉で片付けたり、適当な言葉で分析されたくなかったのだ。

訪れるかもしれない続きをなくす。前向きに次の恋愛ができるように

親友だけに事情を打ち明けたら、そうかそうかとゆっくり話を聞いてくれて、私の心はようやく落ち着きを取り戻した。
そして一通り話終えたあと、私は彼女に、一緒に韓国についてきてほしいのだとお願いをした。彼女は大きくうなずいて、快諾をしてくれた。

彼に会ったら、相変わらず落ち着いていて、久しぶりにあった気がしなかった。
告白をするつもりもないし、勝手に別れるつもりもない。いつものように彼と過ごして、いつか訪れるかもしれない続きをなくすのだ。そしてお互いが前向きに次の恋愛ができるようになればいい。

親友が迎えにくるまでの間、彼がガイドをしてくれて、のんびりと一緒に街を歩いた。彼の低い声が耳に心地良い。私たちは二人の時間を目一杯楽しんで、笑顔で別れを告げた。
「また会おう」という言葉は、そこになかったけれど、私は自分の思い出に自分で蓋をすることができて、気持ちはどこか晴れ晴れとしていた。