匿名SNSに自分の居場所を見つけたのは今年の2月から。
「社会的な立場や外見などを重要視しない、優しい世界」をコンセプトに作られたというSNSの広告を見て、なぜかすごく心惹かれた。
ありのままの考えや、ささやかな日常に寄り添う「だれか」が欲しい
コロナ禍で外出も減り、人との交流がほぼなくなっていた私は、いつの間にか人恋しさに飢えていたんだと思う。ちょっとした本音を呟く場所として、自分の友達も家族もいない空間に逃げ込めないだろうか、と考えていた時に発見した広告だった。
「身近な人にほど知られたくないこともある」は、私が今年1番痛感した知見だ。友達や家族にすら言えない、いや言いたくないことが二十歳を過ぎてから増えている。誰かに話したいけれど、できれば友達や家族ではない「だれか」がいい。
その思いが日に日に積もっていた。「こんなこと呟いたら重い?」「痛いヤツって思われないかな」なんてことを気にしすぎて、投稿できずにいる下書きが幾つもある。別にやましいことや知人への愚痴、ましてや過激な思想を呟きたいわけではない。
ただただ、自分のありのままの考えやささやかな日常を紙に書いて、小瓶に入れ、海に放り出すような、そんな感覚で心に積もった嬉しかった出来事も、悲しかった出来事も外に出したかった。
日記を書くだけじゃもの足りないし、かといって友達や知り合いの前で公開するのはちょっと違う。「日記に綴るような内容に、そっと寄り添ってくれる人がいてほしい」というわがまま。
漠然とした情報で繋がり共感できる空間で、ようやく居場所を見つけた
さっそくこの世界にいる「だれか」との交流を求めてアプリをダウンロードする。今までこのようなアプリは利用したことなかったから初めはビビっていたけれど、始めてみると案外優しくて温かな世界が広がっていた。偶然着陸した惑星で一人暮らしを始めたような気分になった。
「日記に書いていることを友達や家族のまえで読んでください」と言われたら絶対に無理。恥ずかしさで死ねる。だけど、それが顔も本名も知らない「だれか」なら?私の素性を知らない第三者しかいないそこでは、自分の本当の気持ちをさらけ出すことが出来た。
そこにいたこの地球上の「だれか」は先入観なく私を受け入れてくれたし、飾らない日常の一コマを投稿することを許してくれた。どんなに些細な内容でも共感してくれる人がいる。華美な生活じゃなくても大丈夫。映えるような写真も必要ない。ようやく居心地の良い場所を見つけた。
2月に始めてから半年以上続けている。その間ユーザーはどんどん増え、正直に言うと「絡みたくない」とか「ちょっと合わないな」と思うような人と、遭遇したりすることも増えた。その点は少し厄介だけれど、それでも私はその場所を大切にしたい。肩書きとか年齢とか外見とかそういった情報を取っ払って、そこに「だれか」がいるという漠然とした情報だけで繋がり、寄り添ったり共感したりできる空間に、私の居場所を見つけたから。