私が好きな卵焼きは「何もいれない」。母の卵焼きは特別だった

「卵焼きは塩派ですか、砂糖派ですか」という質問を見聞きしたことがあるだろうか。塩と答える人もいれば、砂糖と答える人もいて、砂糖と塩と答える人もいるだろう。お出汁という回答も想像できる。

私は、この質問に対して「分からない」と常に答えていた。話題を提示してくれた当時の同級生には、今さらながら申し訳ないと思う。「分からない」というわけではなかったのだから。私が好きな卵焼きは「何もいれない」のだ。

私の実家で作る卵焼きには何もいれない。だから食べたとき卵の味しかしない。でも私は、この卵焼きが大変好きだった。なぜなら、この卵焼きは特別なものだからだ。

私は昔から食べるという行為が苦手だった。だから母が何か作っても基本食べなかった。朝ご飯は基本的に断っていた。昼の給食は出来るだけ他の人にあげられるものはあげて、量も減らしてもらったりもした。夕食は半分食べれば褒められる程度だった。このように私は偏食且つ少食の子どもだった。

自炊をして分かった。何も入れない母の卵焼きは何か特別な味がする

そんな食を嫌う私だったが、お弁当は違った。お弁当は、そんな私のことをよく知っている母が量も考えて作ってくれるから好きだった。その中でも特に私は卵焼きを気に入って食べていた。母は、お弁当の中に度々卵焼きを入れてくれた。すこし焦げ目がついていて、お世辞にも形が整っているとは言えないものだったが、私が食べられる数少ない料理の1つだった。
この母が作る卵焼きというのは、お弁当のとき以外では全く見ることがなかった。今思えば、この特別感が、母の卵焼きを美味しくしていたのかもしれない。

母に「なぜ卵焼きに味をつけないのか」と聞いたことはあった。理由はいつも同じ。「美味しいから」。
確かに、美味しい。ただただ卵の味がする卵焼き。もちろん調味料など入っていない。しかし、母の卵焼きは何か特別な味があるのだ。

私は、最近自炊を心がけている大学生だが、母と同じように卵と油だけで卵焼きを作っても上手くいかない。母の卵焼きは形が歪だったとはいえ、形になっていた。何より所々に焦げ目があって、卵の焼き色が鮮やかなのだ。そして卵の中は、ほどよく柔らかく、食べやすい。

私が同じ手法で卵焼きを作っても全く形にすらならない。母は、どうやって、あの卵焼きを作っていたのか私は、ずっと分からないままだ。でも、そのおかげか、私は、食に対して苦手意識は薄れたように思う。初めて卵焼きを作ったときは、卵焼き1つにとっても、作る人でこんなにも味も形も変わるものなのかと思わせられた。

いつか私だけが生み出せる味を見出して、特別な卵焼きを作りたい

正直今でも食事は苦手だ。大学生だから、時間かけて作ったとしても、短時間で自分で食べて、片付けまで一人でしなければいけない。手間がかかることだと思う。でも、私が今日まで食に対して興味を持ち、現在こうして自炊をしてこれたのは、間違いなく、母の特別な卵焼きがあったからだと思う。

私は母が生み出す味を、ずっと求めている。でも同じ味じゃなくてもいいとも思えてきている。母にはない私が生み出せる味があっても良いと思えている。私だけが生み出せる私なりの味を見いだすことができれば、きっと私も、いつかは特別な卵焼きを作ることができるのかもしれない。