肌寒くなると芋煮が恋しくなる。
河原で芋煮会をするのが、秋の休日の宮城の風物詩である。
地元のスーパーでは芋煮用の大鍋が無料で貸出されるほどメジャーなイベントだ。

芋煮を食べるという行為というよりは芋煮「会」という催しを含め好き

ちなみに宮城で芋煮と呼ばれるものは、味噌ベースで豚肉が入ってる。
一言に芋煮にといっても山形は醤油ベースで牛肉入り、会津地方はきのこ入りと地域によって個性やこだわりがある。
共通しているのは里芋が入っているということだ。一部地域ではジャガイモなど他の芋類を用いることがあるらしいが、里芋を使うことがメジャーである。
私は芋煮に作る他の地域から「ほとんど豚汁と変わりがない」と揶揄される宮城の芋煮が好きだ。何なら豚汁のことも大好きだ。

芋煮を食べるという行為というよりは、芋煮「会」という催しを含め好きだ。
小学生時代は子供会で、中学生時代は部活動で、河原に集まり、青い大きなレジャーシートの上で各家庭から持ち寄ったおにぎりとともにいただく。
我が家では芋煮のときは決まって塩むすびであった。具だくさんの芋煮を邪魔をしないシンプルな味付けだ。というのは建前で、他におかずが要らないからという理由だった。少し冷たい風も熱々の芋煮を引き立てるスパイスにすら感じた。河原の石でお尻が痛むことも、風で汁に埃が入ることも、外で汁物を食べるということに何故か高揚感を覚えた。

震災のときも、宮城を離れても、集まり食べる芋煮は生活に刻まれた味

東日本大震災が起った10年前、私は宮城県にいた。
当時は学生で、幸い自宅は大きな被害を受けることはなかった。しかしながら電気、水道などのライフラインはしばらく止まり、数週間は不便な状態が続いた。暗闇の中で家族と食べたのは芋煮であった。食材は常備菜と冷蔵庫の残り、それを石油ストーブの上で調理をしたものだ。
テレビもネットもみることが出来ないため情報が全く入って来ず、先のことが分からない状況であり、これから満足な食事ができるかも分からない。
ただ、温かい芋煮を家族と一緒に食べている時間は、不思議と不安な気持ちはなかった。

大人になり、私は宮城をいったん離れることになった。それでも秋には気の合う仲間と芋煮会を催した。
芋煮会の習慣がない人にとっては、秋に人が集って汁物を食べる文化が不思議に思うらしい。かく言う私自身も芋煮の歴史や本来の意味を知らない。古くからある里芋の収穫祭がルーツなのだろうくらいに思っている。
それでも定食屋で汁物が付いてくるときは必ず豚汁を選ぶ。それほど私の生活の中に刻まれた味なのだ。

見掛けるだけでも自然と嬉しく思う芋煮会が無い秋は、やはり寂しい

以前は自分が参加していない会であっても、河原を通りかかった際に大鍋や青いレジャーシートを見掛けては自然と嬉しく思えた。しかしながら、コロナウイルスが流行してからは芋煮会を見かけることはほとんどなくなった。もちろん地元のスーパーでも貸出用の大鍋を通路の一角に置かなくなっていた。
芋煮会のない秋はやはり寂しい。