結婚をして、妊娠して、出産して、育児をしている女性を、または、恋愛や結婚に興味のない女性を「女を捨てた」という表現がありふれているけれど、私はすごく違和感を感じてしまう。
テレビで体を張る仕事をしている女性芸能人を「あいつは女を捨ててるからな」と笑いにする姿を何度みてきたことか。
その人が性別や自認として女性であるなら、何をしても女性なのに、女を「捨てた」と言われなくてはならないのか、そもそも「女を捨ててない女」ってどういうことなのか。

私が「女を捨てる」という表現が気になった2つのきっかけ

私が「女を捨てる」という表現が気になった2つのきっかけがあった。
1つは、私が今年結婚した時に、男友達に「もう女性として扱っちゃいけないね」って冗談っぽく言われたこと。
私は男性のあなたが望む女子でいたわけでも、結婚して女性じゃなくなるわけでもないのだけど。
結婚って、女子らしさを前面に出して過ごす生活を捨てることでしたっけ?と思ったのだ。

2つ目は、私は助産師としてお産から産後の女性を受け持つなかで、退院する日の朝に患者さんのところに訪室すると「え、誰?」と見違えるくらい、ばっちりのお化粧とおしゃれな私服を着ていることが多いのだ。
産後入院中の患者さんはすっぴん、髪もまとめる程度、ゆったりとした服を着て、髪を振り乱して必死に授乳や育児を覚えようと頑張っているから、退院日に、いつも駅のホームやショッピングセンターで見かけるような、綺麗に着飾ったママさんが目の間にいるのをみると、「家族や外に出るときの姿って自分が一番綺麗でいたいよね」と共感するし、どちらが本物?という不思議な気持にもちょっとなる。

好きなファッションやメイク、髪型もぜんぶ、その人の好きにしていい。
でも、そんななかでも影のようにつきまとう、「女らしさ」や「女を捨てないために」頑張らなきゃいけないという焦らされる縛りに、一生付け回されるのだろうか。なんのために?

男に都合のいい「女らしさ」がなくなっただけで、女性が傷つけられる

男性にとって、この世の価値がある女性は「女子」と「お母さん」しかいないのか、と思う時がある。
化粧をして、つやつやの髪で、流行りの服を着て、にこにこして、下ネタも笑って流してくれる華のある癒しの女子。
それか、包容力のある美味しい料理を作ってくれて、励まして見守ってくれ、身の回りの世話をして支えてくれるお母さんのような女性。

よく婚活とかで結婚したい女性の条件をきくと、お母さんか、って突っ込みたくなる。
どちらでもない女性は、おばさんと呼ばれたり、若作りとか、女を捨てたとか、子どもができて老けたとか、散々な言いようをうけている。
どちらもものすごく失礼だと思うのだけど、空気のように当たり前に横行している。

私がそのなかでも、一番怒りを感じるのが、出産して育児している女性を「女を捨てた」と言われることだ。
SNSの広告でも、夫が「妻が産後太って毛穴が増えて髪がぼさぼさになって、もう女性としてみれない」と言って、妻が一大決心し綺麗になって、夫を見返す、という内容のものは、吐き気がするほど多い。

だいたい、妊娠も、出産も、授乳も、体の構造として女性しかできないことですけど、と思う。
女性しかできないことなのに、その状態になった女性を「女を捨てた」というのは、すごく変だと思うんですけど。
それは、あなたたち男性にとって都合のいい「女らしさ」がなくなっただけなのに、「女を捨てた」という表現で、私たち女性が傷つくのは変じゃないですか?

そのような表現が、広告やテレビ、SNSに溢れていることを恐ろしく思う

女性芸能人に対しても平気で、結婚したのに、出産したのに、2児のママなのに綺麗、と言う言葉を褒め言葉のように使われている。
それは裏を返せば、独身で若い女性に価値があり、そこから一段降りたにも関わらず、綺麗な女子を保っていることへの、男性からの称賛。
「まだ女として見れる」なんていう発言を見ると吐き気がする。何様だ。
そのような表現が、広告やテレビ、SNSに溢れていることが、正直自分は恐ろしく思う。

妊娠すれば服装は変わっていくし、体力も時間も奪われる育児中に、ばっちり化粧はできない、髪を染めたり綺麗にする余裕がなくなったり、おしゃれでかわいい服ではなく機能的な服や靴を選ぶようになる。
それは必死に今の生活に合わせて適応していることなのに。本当は化粧やおしゃれもしたいけれど、優先順位をつけざるを得ないのかもしれないのに。本当は、その状況でもできるおしゃれをしているかもしれないのに。
化粧をして、つやつやの髪で、女性アナウンサーみたいな服装をして、ハイヒールを履いている人しか女性に見えない人には、「女を捨てた」と言う表現しかないのかもしれない。

何回も目にした、「女らしさ」「女を捨てる」にも当てはまらない瞬間

「女らしさ」か「女を捨てる」を考えるとき、何にも当てはまり切らない瞬間を、職場で何回も目にしている。

お産を終えた直後の女性が、最初に赤ちゃんと触れ合う時の表情が、私は大好きだ。
長時間のお産で疲労困憊、もちろんすっぴん、汗をかき、髪も乱れているけれど、赤ちゃんをみて「わあ~」と目を輝かせる表情は、母性、という言葉では言い切れないほど、恍惚としていて、とても綺麗。

コロナ渦になり立会分娩ができなくなり、私たちスタッフが写真を撮ることも多いのだが、できるだけ二重顎にならない角度…とアングルを考えたりしながらも、そのときの女性の美しさはカメラのフィル―を通しては伝わり切らないな、といつも感じる。
人生の大きな、女の身体にしかできないことを成し遂げた達成感と、自分が子を産んだという感動を浮かべた表情は、単にお母さんになった顔、というのでは、足りない美しさだと思う。そういう女性らしさ、美しさもあるよ、と思う。

可愛い女子、か、母性あふれるお母さん、でしか女性を分けられない男性は可愛そうだし、その縛りに苦しむ女性はつらい。

私たち女性は、ひとりひとり主体として生きていて、どんなことがあっても体も自認も女性の限り、そう簡単に「女を捨てた」りなんてできやしない。
男性に都合のいい女らしさだけが、価値があるような表現が減ってほしいし、私も心の底からそういう攻撃から自由になりたいと思う。