ピザをドレッシングにディップして食べる。
そう聞いて、みなさんはどう思うだろうか?
ぎょっとするだろうか、それとも意外とイケそうな感じがするだろうか。
もしピンとくる方がいたら私はとても嬉しいし、ぜひ一緒にピザを食べたいと思う。

高校1年生の夏、アメリカの「サマーキャンプ」に参加した思い出

私が高校1年生だった夏、アメリカ・ニューヨーク州西部の豊かな自然に囲まれた湖畔で1ヶ月を過ごした思い出がある。
日本ではあまりない、1週間単位での宿泊型「サマーキャンプ」に参加し、現地の子供たちとキャンプ地内の山小屋で寝食を共にしながら、様々なアクティビティを楽しんだ。
同年代の子たちと、湖で泳いだりカヌーを漕いだり、芝生で走り回ったり、時にはキャンプ地内に自生している木の実をつまんだり。
女の子たちとは、お互いの国のメイク事情や恋愛事情、ファッションや制服アレンジの話で盛り上がった。

サマーキャンプでの食事は、もちろんアメリカンな食事ばかりだった。
朝はリンゴ1個を丸かじりし、ついでにもう1個をお土産として山小屋に持って帰ったり。ワッフルには大量のメープルシロップ、ベーグルには大量のジャム、もちろんクリームチーズなんて目もくれられず放置だ。
昼や夜は、大量のバンズとパティがドンと目の前に置かれ、自分でハンバーガーやホットドッグを作ったり。サラダのような野菜はほぼ提供されず、野菜らしきものはピクルスか、タコス用のサルサだった。

サラダはないのに、ピザが食事の時には必ずドレッシングのボトルも

もちろんピザも出されたが、日本のような円形ではなく、ほぼ正方形に近い形をしていた。そして日本のラージサイズピザの箱と同じくらいの大きさのものがほんのレギュラーサイズだったし、ピザの上にはこれでもかとばかりにペパロニばかりが乗っていた。

そんなピザが食事で出されたときは必ず、2Lくらいの巨大なドレッシングのボトルが添えられていた。
もちろんサラダはついていないし、ピザの上にも野菜らしきものは載っていない。
初めは特になにも考えず普通にピザを食べていたが、ピザが出されて数回目であることに気が付いた。
現地の子たちは、まず自分のお皿にドレッシングをドバドバと出しておく。そしてピザをとったら、ドレッシングにディップして食べていたのだ。

そのドレッシングは、日本ではあまり見ない「ランチドレッシング」。マヨネーズにバターミルクやサワークリーム、オニオンパウダー、ガーリックパウダーを混ぜたもので、シーザードレッシングをはるかに超えてくる濃厚さ。

センチメンタルな気持ちでピザをディップして食べた。当然のように

ただでさえ味付けの濃いピザに、関西の薄味文化で育った私は既に辟易していた。そこに、レシピの字面だけで胃もたれしそうな濃厚なランチドレッシングを重ねてくるとは。
全く理解ができず、試したいという気持ちにすらなれなかった。そのことを同じテーブルの子たちに言うと、「日本人はおかしい」「絶対に損してる」と全員に全否定されてしまった。
そして、自信たっぷりにこう言われた。「帰る前には、きっとあなたもピザをドレッシングにディップするようになるから。まあ見てなよ」と。

楽しく過ごしたサマーキャンプ生活も、残り1週間。通じているのかいないのか、いまいちよく分からないながらもコミュニケーションを楽しみ、笑い合った3週間。
我ながら現地の子たちに馴染んだような気分で、ここでの楽しい時間も残り1週間か、としみじみした気持ちで食堂のテーブルについた。

寂しいな、帰りたくないな、とセンチメンタルな気持ちでランチドレッシングを手に取って自分のお皿に取り分け、ピザをディップして食べた。あたかも当然のように。
あまりに自然な流れで自分がピザをドレッシングにディップして食べたので、初めは自身の行為に気がつかなかった。ふと我に帰って自分のピザを見たら、ランチドレッシングがしっかりついていて、ぎょっとしてしまった。
そんな私を、同じテーブルの子達は笑いながら祝福してくれた。
「おめでとう、これであなたもアメリカ人だね!」
「ようこそ、アメリカへ!」

あれから10年以上が経った今でも、感動の再会の瞬間を夢見ている

あれから10年以上が過ぎた。
スーパーで「ランチドレッシング」を見つけたら未だに買ってしまうし、自分で作ってみたこともあるが、癖が強すぎるあの濃い味には10年以上出会えていない。
時々シカゴピザのお店に行ったりもするが、野菜がひとかけらも載っていないあの巨大な正方形のピザにも10年以上出会えていない。
もちろん、ピザをドレッシングにディップして食べたりもしていない。
いつかあの時の、あの背徳感溢れる味をまた口にできるだろうか。そして、アメリカ人の仲間に入れてもらえるだろうか。
10年以上が経った今でも、感動の再会の瞬間を夢見ている。