お母さん、この前また段ボールに荷物を詰めて、送ってくれましたね。
私が十八歳で家を離れてから、毎年送ってくれる荷物たち。春は綺麗なハンカチを、夏はゼリーを、秋は梨を、冬はヒートテックのインナーを。体幹に良いからと、この前はけん玉も入っていました。オリンピック選手が使っているんだとか?律儀に二つ、旦那さんの分まで入っているのには笑いました。
けれど最近の私は、その気持ちをありがたいとは思いつつ、荷物が届くことにすっかり慣れてしまって、お礼もスタンプに一言を添えるだけ。そっけないよね。
だけどこの前、届いたお菓子を職場で配ったら、思わぬ好評で。
「素敵やなぁ!」「ワクワクしながら選んだんやろなぁ」「娘がおったら、私も絶対送るわぁ!」なんて大盛り上がりでした。
ある人曰く、「けん玉の玉は、想いの結晶やで」だそうです。
実は私、社会人になり、お母さんの優しさが嫌になったこともありました。自立と、優しさの否定を混同して、いつも突っぱねて。
でもあの時は、皆の柔らかな笑顔を見て、お母さんもこういう顔で選んでくれたのかなと思うと、やっぱり嬉しかったです。
お母さん、いつも荷物をありがとう。どんな時でも変わらず届く荷物は、愛情として確かに私の中に蓄積されています。なかなか素直になれない私だけど、次はきっと、直接感謝を伝えたいです。