クリスマスは人生の通知表だ。
1年間誰にどれだけ愛されたか可視化される日。
そう思うようになったのはいつからだっけ。
高校の時虐められてクリスマスにはしゃいだクラスに馴染めなかったときかから?
彼氏からのプレゼントがネックレスでもバックでもなく消臭スプレーだったときから?
違う。
クリスマスなのに家族別々で食事を取るようになってからだ。
クリスマスはシチューを食べるのが家の決まりだった。ケンカしたってシチューを食べれば仲直り。シチューは家族をつなぎとめるお守りのようなものだった。
しかし私はそのシチューを一人で食べている。
時折涙を滲ませながら完食へ向かっていく。
食べ終わったら本当に家族が終わってしまう。
両親がクリスマスに離婚。2人の決断を前に私は無力だった
私の両親はクリスマスに離婚した。
円満離婚だった。
なぜ別れるのか当時高校生だった私はさっぱり分からなかった。
結婚記念日には必ずレストランを予約してプレゼントを用意する2人だった。
「……ねぇ。もうホントに駄目なの。考え直さない」
私が母親にせがむ。
「もうね。終わっちゃったの」
そう言った母の顔はどこか清々しさがあって、私は苛立った。
「そう言ってさ、私の気持ちは放ったらかしじゃん。私は別れてほしくないよ。なんでこんな仲良いのに離婚なんてするの馬鹿じゃない!」
「表面上大人の対応が出来るだけで仲がいい訳じゃないし、それぞれの道をお祝いするって決めたの。これはあなたにも邪魔できないことよ」
母は聡明な人だった。
だから決断できる人だった。
2人の決断を前に私は無力だった。
離婚の原因は多々あるのだろうが、母から言わせれば「この人がいなくても幸せに生きていけるな」と度々思うことがありそれが積み重なっての結果だそうだ。
私は未だに納得いってない。そう思っても一緒にいたら楽しいのだから一緒にいればいいのに。
そう言ったら母は「それはもうパートナーじゃないのよ」って笑うのだった。
高校生の冬、少しの愛もない私のクリスマスの通知表は最悪
高校生の冬。
私のクリスマスの通知表は最悪だった。
友達との会話、なし。
恋人の有無、なし。
家族の円満度、離婚。
少しの愛もなかった。こんな寂しいことってあるんだって、さながら他人事のようにクリスマスを過ごしていた。
明日も学校がある。準備しなきゃ。教科書を持った瞬間切なくなってそれを抱きしめては泣いた。幼少期はこんなんじゃなかった。豪華な料理が出て、サンタさんがプレゼントを枕元に置いてくれる。
でもこの歳になってサンタはいないし、一人で生きていかなきゃいけないってわかってる。
窓の外を見ると雪が降っていた。両親が離婚しようとしまいと雪は降る。それがなぜか無性に救われたと思った。
私は母親の元で生活することになった。幸い稼ぐタイプの母だったので、生活水準がガタ落ちすることはなかった。
一人部屋が与えられた。私はそこでしばらく生活することになる。
クリスマスは人生の通知表。でも通知表は人生じゃない
大学に入って少しした春の日。
母とこんな話をした。
「お父さんと離婚したの悔しくない?」
少しの静寂が流れる。
「悔しいか~。難しいこと言うね」
「だってあんなに仲良しだったのに」
「後悔したって仕方の無い事だし?」
かわされた。そう思った。
「まだ好きなんじゃないの」
「こら、夫婦の事情に入ってこない。はいこれボンゴレパスタ」
パスタは美味しそうで、私は一生この夫婦を完全に理解することは出来ないんだなと思った。
クリスマスは人生の通知表。でも通知表は人生じゃない。どんな最悪の通知表を受け取っても捉え方次第で次に進める。私はこのクリスマスを過ごせて良かったと今は思える。