私は、みんながやっているからSNSを始めた。
自分の好きな芸能人やアーティストもSNSで発信しているし、友達の趣味や好きなことも分かるし、便利なものだと思った。

とてもキラキラしていた友達の投稿に、私は嫉妬していた

私の友達の投稿はとてもキラキラしていた。その輝きに私は嫉妬していた。
休日は都会の人気のある場所へ出かけ、映える綺麗な写真や楽しそうな笑顔の写真やプリを載せ、誕生日になればプレゼントの高級ブランドの化粧品をありがとうと載せ、学校行事があれば沢山の友達との写真を載せる。カップルや匂わせの投稿もする。
それを私は家でゴロゴロしながら見る。私はこんな写真撮ってないな、楽しそうだなと思う。

検索欄にはおすすめの投稿が流れてくる。流行りのメイク、レストラン、ファッションや写真を撮る時のポーズなど、どれもかわいい。
何気ない写真でも、逆にオシャレなんじゃないかとさえ思えてくる。
そうするといつの間にか、その投稿達とかけ離れた自分の存在が嫌になり、何も悪いことをしていないのに、私の心が蝕まれていく。

浪人生になって気付いた。あの子もかわいいけど、私もかわいい

やがてみんなは大学生になったが、私は浪人生になった。
こうして次に上がった投稿は、茶髪にしました、旅行に行きました、新しい友達との写真。私は何もしていない、何も動いていない。取り残されている気がした。
いつの間にかストーリーが上がる度、必ず確認しなくては、取り残されたくないと思うようになり、何度もアプリを開いた。

でも見れば見るほど、自分の心が崩れていく。
ボロボロになって、その異常さに気づき、見るのをやめた。
今友達は何をしているんだろう、話題についていけないかもと思ってまた見ないようにアプリを削除した。

1年以上見なかった後、久しぶりにアプリを開いた。私はその間友達ともろくに会話していなかったので、久しぶりに話す友達に少し緊張してしまった。

でもどの友達も、話してみたらあの時と何も変わらなくて安心した。
1年間、私は自信が底につくまでなくなり、悩みに悩んで悩み疲れて吹っ切れた。
私は私でいいんだと。二重じゃなくていい、人中も短くしなくていいし、ピンクのメイクもしなくていい。足が細くなくてもいいし、映えた写真を投稿しなくてもいい。それだけが自分じゃないから。

なんとなくこうしなさいと、流行に押しつぶされそうになってた気がするけど、やりたくないならやらなくていい。そして、そうしている人を否定する権利も持っていない、私は嫉妬しなくていいんだと気づいた。
あの子もかわいいけど、私もかわいい。これでいいんだと。

自分を再確認できたのも、SNSでの出会いがきっかけ

私は別のSNSで、ある人に出会った。

その人とは趣味が合い、長文でのやりとりをした。
どんな絵や映画が好きか、最近こんなことがあった、このニュースについてどう思う、私はこんな性格などいろいろ。
その人と話しているうちに、私はどんな性格で、どんなことが好きでどんなことが嫌いか、自分を再確認することができた。
受け取ったままのSNSの使い方では分からなかった経験をした。

SNSなんてって思う時もあったけど、きっとそんなことを思うこともあるなら、私の想像を超えるような素晴らしいことだってあるはず。
マイナスな面ばかり見ていても何も始まらなくて、きっとプラスな面もあるし、忘れちゃいけない。
そのことを教えてくれた。

未だにキラキラした投稿を見ると、落ち込むこともあるけど、私だって投稿していないだけで、沢山の思い出と好きなことがある。全員にキラキラして見えなくたっていい。
私の全てだと思ってほしくないから、私もそう思わない。
SNSだけが、全てじゃない。