「また明日来るね」って言って珍しく自分からママのほっぺたにキスして、ママの口元に頬寄せてキスをもらった。帰りのエレベーターではぐしゃぐしゃに泣いて、車に乗って声の限り叫んだ。
弱ったママを見る悲しさと、命の灯火が消えてしまう実感からくる寂しさと、治療していればまだ元気でいられたのにという怒りと、行き場のない感情が次々押し寄せて、ただ辛かった。
打ち間違いが目立つメッセージも、掠れた声のボイスメッセージも、「おやすみ」のメッセージにも既読が付かなくなって、そんな状況になってやっと、29年間ずっと反抗期だった自分の中にしっかり母への愛情があることに気付いた。
それもどうしようもないくらいの強い愛情に。
その日の夜、ママは息を引き取った。金木犀が香る、月が綺麗な日だった。

私が15で父を亡くして以来、性格が瓜二つな私たち母娘は周りをゲンナリさせる程に喧嘩をし、罵倒を浴びせ合い、お互いに肝心な話し合いをする勇気を持てず、モヤモヤを抱えたままそれでも一緒に生きてきた。
でも、もう会えない。しつこくハグを求められることも、キスを迫られ家の中で追いかけ回されることも、一緒にご飯を食べることも、泣きながら孫をせがまれることも、もう一生ない。ないのだ。
うるさいママがいないと、毎日が寂しくて辛くてつまらない。

ねえママ、反抗期終わったよ。もう怒られなくても優しくするから。
だから置いてかないで、ひとりぼっちにしないで。