一人暮らしは自分だけの世界に浸れる時間。しかし逆に、自分しかいない世界に浸かってしまう時間だ。一人暮らしに思うことは、ただ「ひとり」だ、ということだ。
私の部屋がもしシンプルなものであれば、それはより思うことだろう。だからこそ、私は家族(ぬいぐるみ)を増やし、もので溢れかえらせている。一見片付けができていない部屋は玩具箱の中のようだ。色とりどりのものが置かれ、子供部屋のように可愛らしいもので溢れている。
誰かと一緒に暮らしていれば、きっと怒られるだろう。「片付けなさい!」と言われるに違いない。ひとりだからそうできる。ひとりだからよりそうなる。私は、「ひとり」だ。

「ひとり」な一人暮らし。孤独だと思ったことが何度あるだろう

一人暮らしは、私との戦いだ。ホテルの一人部屋ほどの部屋に私はひとり。ホテルという旅行先の非日常の空間であれば楽しいかもしれないが、自分の部屋は非日常ではない。現実だ。孤独だと感じたことが何度あるだろうか。

だからといって、誰かと常に一緒にいたいわけではない。我儘だが、時々誰かと一緒にいたくなる。家族でもパートナーでなくても良い。誰か心安らげる人と。
添い寝するだけの関係をソフレというらしい。その関係にどこか魅力を感じてしまったこともあった。ソフレはパートナーではない。恋愛感情はない曖昧な関係だ。ネットで知った。
家を出る時、私は「行ってきます」と必ず言う。返事は帰ってこない。家に帰る時、私は「ただいま」と必ず言う。返事はなく静寂だ。家に帰れば、うちの子という名のぬいぐるみ達がたくさん出迎えてくれる。
時々2次元の世界のように喋ってくれれば良いのに、と思ってしまう。掃除は誰もしてくれない。ご飯も作ってくれない。「おはよう」「おやすみ」も言ってくれない。「ひとり」が一人暮らしだ。

誰かと繋がりたくて、SNSやマッチングアプリでやり取りしたことも

せめて、誰かと繋がっていたい。ある時は、SNSで誰かの投稿にリプライをしてみた。数十分すると私のリプライに対してのリプライが返ってくる。誰かと喋っている気でいる私がいた。
ある時は、マッチングアプリでマッチングした数人とチャットで話した。しかも複数人、同時進行で。私は私だが、相手によって見せる私は違う。キャラが迷走した。相手の名前が覚えられない。気がついた時、誰と何を話しているのかわからなくなった。
私も名前を間違えられた。私は「マナマナ」だ。「Aちゃんって誰やねん!」心の中で怒った。すぐに返信してくる人もいれば、次の日に返信する人もいる。誰かとのやり取りは気が紛れた。しかし、やり取りはその人じゃなきゃダメだ、という人は現れなかった。

誰かが良いではなく、誰でも良い。そのような自分自身に少々悲しくもなった。恐らく、私のことをあまり知らない人と話していることが楽だったのだろう。現在は、不特定多数の人とのやり取りをやめた。マッチングアプリもお休みモードだ。

私は「ひとり」ではないと思える日が、いつか来ますように

ほんの少しお話をしたくなったら、お話しできる人ができたからだ。しかし、その人とお話しできなくなったら、どうなるかはわからない。少々怖い。そう言いながらきっとまた誰かを見つけるのかもしれない。その人のお陰で、今は少しだけ孤独ではなくなった。
私は、誰かと暮らしたいわけではない。しかし、孤独は苦手だ。誰かと暮らすと気を遣わなければいけない。相手の立場を考えて生活を送らないといけない。1人の時間が欲しい私は、誰かと暮らすことは非常に難しい。逆にストレスになるかもしれない。

様々な事情の元、私は心療内科に通っている。心療内科の先生と、コロナ禍の孤独と女性の自殺について話した。近年は孤独を感じてしまう人が特に多い。私だけではない。
孤独はどのようにしたら解消されるのか。誰もが抱える問題なのかもしれない。「ひとり」ではないと思える日が、いつか来て欲しい。「ひとり」ではないという確信が、どこか欲しい。