国家試験の勉強に打ち込んだクリスマス。自分自身のために
クリスマスの思い出……それは、2年前の学生最後の12月25日。
私は寒空の下、2か月後に控えた国家試験の授業に出席するため、電車で大学へと向かっていた。気分は乗らないが、せっかくだからと普段おろしたままの髪をハーフアップにして、イヤリングを付け、お気に入りの靴を履いていった。
せっかくのクリスマス、他の大学生なら冬休みに入っている人も多かったのだろう。教室に入ると、いつも出ている学生の半分しか出席していなかった。12月に入ったころから「クリスマスはサボろう」「ライブに当たっちゃって休むんだ」とちらほら聞こえていたため、容易に想像できたことだ。
私は、いつもの日常と変わらず国家試験の過去問を必死に勉強していた。いつもより人が少なく静かな教室で、先生が歩く足音だけを聞きながら、見慣れて答えが分かっているような問題を1つ1つ丁寧に解いた。
「ここが間違っているから、この選択肢は違う」
「この問題、見たことあるんだけど思い出せない……」
別に、丁寧に解いたって、誰も見る人はいない。「誰のため?」と、もし聞かれたとしたら「自分自身のため」と答えただろう。
「これで人生が決まる」と勉強に夢中になった
先生からの「クリスマスプレゼント」という計らいで、授業が少しだけ早く終わった。デートや飲み会、イベントに比べたらちっぽけなものだが、欠席した友人に何となく優越感を感じた。
授業が終わり、学校の外に出ると、街はイルミネーションでキラキラに輝き、すれ違うカップルや友人たちの笑い声が聞こえてきた。私も、国家試験なんかなければ今年のクリスマスも楽しく過ごせたのかな……と、少し悲しくなった。
ハーフアップにイヤリング、いつもより着飾ってみたけれど、やはりクリスマスを心から楽しんでいる人には叶わないと心の隅っこで思った。
その当時、私は「これで人生が決まる。絶対に合格する」と思いながら、周りに目もくれず目の前にある問題集と解説本に夢中だった。周囲にはまじめな性格なこともあり、「絶対に合格するんだから、たまには息抜きに遊んだらいいじゃない」といわれることもあった。
でも私はそんな言葉に惑わされず、その年のクリスマスもお正月も、必死に問題集とノートに向き合った。両親が紅白歌合戦を見ている隣でも問題集を広げて勉強していたものだ。
その頑張りは、いつか必ず社会の役に立つ
3か月後の合格発表の日。私は合格した。
私は感情の波は激しいが、涙を流したりすることはあまりないため、泣きこそしなかったが胸のあたりがジーンとするような温かさにつつまれた。
勉強も実習も、このために頑張ってきた。人の役に立てる人間になる第一歩が踏み出せたような気がした。
今年のクリスマスを勉強に捧げる若者に伝えたい。
イルミネーションやサンタさんの誘惑をこらえて勉強しているあなたは「自分は、まだまだ」と思うかもしれないけれど、周りの人よりも何倍も頑張っている。
その頑張りや踏ん張った根性が必ず社会の役に立つから、今はつらいかもしれないけれど頑張ってほしい。