ダイエットとは切り離せない人生。主人公と私自身が重なった
私の人生を変えた一冊は、松子侑子著の『巨食症の明けない夜明け』である。
1987年に第11回すばる文学賞を受賞した本作は、主人公である大学生の「時子」が過食と拒食を繰り返す摂食障害を患っており、母親との関係への苦悩や恋愛への依存をし続ける「時子」の人生の生き様を描いた純文学だ。
はじめてこの作品を読んだ時、私自身も大学生であり、等身大の主人公と重なる部分が多く、のめり込んで読み耽った。
私の人生において、ダイエットとは常に切り離したくても切り離せないものだった。
幼い頃に入院した際に服薬したことが影響で元来太りやすい体質で、少しでも食べ過ぎるとすぐに体型に現れていた。同級生と比べると背も高く体重も重めでパンパンな子供。周りの子よりも大きめで揶揄われたり馬鹿にされたりする事も少なくはなかった。思春期に突入した時に、そのことがものすごくコンプレックスになり、ダイエットを繰り返した。
健康状態は悪く、生理も止まった。友達や親からも心配されていた
ダイエットと言っても当時はあまり知識もなく、ただ食べる量を減らしたり簡単に痩せると謳われている運動を試してみたりするだけだったが、模索しながらも、はじめのうちはみるみるうちに体重が落ちていって、それがすごく嬉しかったことを覚えている。
そのうちに極端な食事制限に手を出して、断食や1日1食の生活を送りながら体重を落とし、体重が減らなければストレスで暴飲暴食に走り、また体重が増えてダイエットをするという繰り返しをしていた。
それは大学生でこの作品と出会うまで続き、痩せたり太ったり、1ヶ月で10キロ増減なんてことは当たり前のような状態だった。当然健康状態は悪く、生理も止まり、周りの友達や親からも常に心配はされていた。
ある時、ふとなんの為に痩せたいのかを考えた。
美しくなりたいから、可愛くなりたいから痩せるということが、こんなに不健康で体重に囚われ過ぎたせいで体型も美しくなく、何か違うのではないかと。
自分を受け入れられなくなる孤独感が、食べる行為を生み出していた
そんな時に『巨食症の明けない夜明け』を読み、まるで自分自身のことを描いたかのような巨食症という存在に触れ、冷静に見つめ直すことが出来たのだ。
その最も腑に落ちた点は、「時子」の空虚な孤独、孤独を埋めるための食べるという作業に自分自身がしていた行為の根元を知れた気がしたということ。
単に痩せたいから食べない、痩せないから食べるということへのストレスだけでなく、段々と自分を受け入れられなくなる自分への孤独感がこの行為を生み出していたのだ。
物語の最後、「時子」は最終的に何も変わらない。いつものように玄関を開けていつものようにコンビニに行き、大量に食材を買い込んで過食を続ける。
痩せるということも太るということも選択しない、「時子」のアイデンティティーがそこには確かにある。
「時子」の決意が十分美しく、前に進めていると私は思う
そのことが救いだった。変わらないということを決意した「時子」はきっと、自分を受け入れきってはいないのだろう。でもその決意をしたことが十分美しく、前に進めていると私は思う。
タイトルにもある通り明けない夜明けはそのままで、自分自身を受け入れるというある種メッセージなのだとラストから感じとった。
今だから言える、私が私らしくあること。それが美しくあることの大前提にあるのだと思う。
もちろん人それぞれ美の価値基準は違うけれど、どれも受け入れることで固定観念に囚われないことが大切なのである。
それはこの『巨食症の明けない夜明け』という1冊から学んだことであり、ひいては私の人生においてのダイエットとの関係に苦しみを除いてくれた。
これから先も何かで感銘を受けることはあると思うが、1冊の本から人生観が変わるという経験は後にも先にもこれだけだろうと思う。