小学校6年に上がる前の春から、日記を社会人になった今でも書き続けている。
きっかけをくれたのは「アンネの日記」を読んだ小学生の頃。

小学生の頃に出会ったアンネの日記は、「私」に宛てた手紙のようで

今は読書する機会が減ってしまったが、当時の私は本を読むことが大好きで、色んな本を読んでいた。
小学校の休み時間は図書館に行ったり、休みの日は県立図書館に行って沢山の本を借りていた。

そんな小学生の私。
歴史漫画本を読んでいた時に「アンネ・フランク」を知ることになる。
ユダヤ人迫害について漫画を通して日本以外の国でも「戦争」で生活も命も脅かされていたことに心が締め付けられた。
彼女が隠れ家に住みながら、日記帳を一人の「友人・キティー」として日々の出来事や思いを手紙のように綴っていたということを知り、私と同じように本を好きな父ならば家に本があるのではないかと思い、家に帰って本棚を探した。
案の定、「アンネの日記」をみつけた。
歴史漫画本だと日記については詳しく記載がなかったので、彼女があの隠れ家でどんな生活をしていてどんな思いしていたのか気になっていた。

当時読んでいた私より少しお姉さんだったアンネ・フランク。彼女の言葉一つ一つに共感得たりした。
母親に対する抵抗や姉や父に対する気持ち。同じように逃げてきた家族達の関係。そして、当時の戦争に対する不安など……。
読んでいくうちに「日記・キティー」に宛てた日記ではなく、「私」に宛てた手紙のように感じた。

日記は明日の自分に向けて書く手紙で、辛い時も支えてくれた存在

彼女が1日の日記を締めくくる「じゃあまた!」という言葉。
私も彼女のように日記を書いてみようかなと思った瞬間だった。
実は、過去にも日記を書こうと決めていても、三日坊主ですぐに書かなくなってしまったが、アンネのように日記を書いてみようと決めてから毎日欠かさず書くようになった。
社会人になった今でも。

私は「じゃあこのへんで!」と真似して最後の一言を添えている。
明日の自分に向けての手紙だと思って書くようにしている。
毎日書いていくうちに、締めくくる1日の出来事と明日に向けて力になる。

小学校6年生から多感な中学生・高校生と月日が経つたびに、色んなことが起きた。
高校生の時に友達関係に悩まされ、ハブられ、心から笑えなくなった時期があった。
私が逃げずに日々耐えることができたのは、寝る前にいつも書いていた日記の存在があったから。

1日の出来事はとくになかったけども、苦しくて苦しくて親にも仲のいい友達にも話せない「本当の自分の気持ち」を日記に自分の字で書き綴ってきたことで、「いつかは今まで通りに笑える時がくる」と気持ちを耐えられたのは日記の存在。

今回のかがみよかがみのテーマである「今の『私』をつくった本」。
現在まで公開している私のエッセイを振り返った時に、「日記」の存在と日記を書くきっかけをつくってくれたのは「アンネの日記」があったからこそなんだと気づかされた。

箱いっぱいのノートには、わたしの日常が。日記は過去と未来を繋ぐ

日常を書き残すことで、1日前・1週館前・1ヶ月前・1年前……。
「この時は自分はこんなことで怒っていたのね」
「あの日は楽しかったよな~」
「書きなぐりってことは疲れていたのか?」
と自分のことを振り返ることができて過去の自分をほめることができ、また未来の自分に頑張ろうと思える。

そんな気持ちを気づかされた「アンネの日記」。
海外渡航がコロナ禍前に戻ったときには、オランダにいって彼女の家を訪れたい。
彼女が色んな気持ちを抱えて「キティー」に書き続けたように、私も今日も書き残す。
私の日記は、もうノートが箱いっぱい。
学生時代のようにキャンパスノートに1ページ丸々書く時間がなくなってしまったので、5年日記を購入した。
気恥ずかして読むのにためらってしまうけど、もう少し大人になった時に自分の日記を読み返したい。
このエッセイを書いていくうちに、久しぶりにアンネの日記を読みたいと思った。

今の私がいるのは「アンネの日記」のお陰。
ありがとう、アンネ。
いつか、オランダに行くときは必ず行くから。