大学進学から長野県を脱出して京都に住んだ私。5人きょうだいの末っ子で、関西に行ったきょうだいがいないという理由で京都に来た。
もちろん、指定校推薦をもらい、自分は馬鹿だからこんな事もないとこれから何も頑張れないと思っていたところもある。
大学進学で関西に来た。仕事でもプライベートでも関西弁を使う私
大学で出会う友達はほとんどが関西人。たまに新潟出身者にも会えたが、それはとてもまれだった。
友達に長野の言葉で話すとイントネーションが違い、仲間はずれになった気分になった大学生時代。4年間の学生時代を終える頃には関西弁で話すことに抵抗もなくなった。大阪と京都と兵庫の関西弁の違いにも気づけるようになった。
仕事でもプライベートでも関西弁を使い、実家との電話と正月とお盆の時に帰省した時だけ地元の言葉を使っていた。地元では関西弁を使う自分ではいたくなかったからだった。
そんなある日、彼氏に別れを告げられて、やけになった。その日からすぐの長期休みに、行った事がない博多と長崎へ一人旅にでかけることにした。一人で宿を選び、はじめてのカプセルホテル、九州新幹線、博多弁、長崎弁を経験した。
しかし、会話という会話は一人のためあまりなく、やりたかったことを一人で「消去していく」気分でやっていた。そのため、あっという間に最終日になった。
私ってどこにいるべきなんだろう。一人旅で改めて考えた
宿の方の手作りサンドイッチを食べていると、「お客さん京都の方なんですか?住所が京都だったので」と尋ねられた。一瞬悩み、「いえ、長野から京都に来たので仕事が京都なんです」と地元のイントネーションで答えた。
あ、私ってどこにいるべきなんだろうな。一人旅をして、ふと今の自分はどこにいるべきなのか改めて考えた瞬間だった。
普段の生活ではエセ関西弁なのに、こういう時には関西人に見られたくないのだろうか。なんとも言えない自分の偏見を見つけた。
新幹線で博多、山口、広島、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、愛知。特急に乗り換えて、名古屋から木曽福島へ。駅に着くと両親が車でトンネルを越えて迎えに来てくれていた。
私は親に自分の弱音を吐くことが苦手だ。仕事に恋愛に疲れていることも知られたくない。無理矢理でもいいから頑張っていることだけ伝えていた。
もちろん嫌な話は心配させるから話したくない。でも、会えたらいつも少しだけ甘えてしまう。
エセ関西弁生活だけど、本当は地元に帰りたいと思っている
「地元の高い牛乳を飲みたいな」「眠たいから昼寝するね」「おばあちゃん元気にしてる?お土産買ってきたよ」。末っ子の意地なのか親に褒めてもらいたいからか、甘えつつも本音は言えない。
彼氏と別れたこと。仕事も上手くいかないこと。下っ端で仕事ができないと思われていること。地元の試験に落ちていること。早く結婚したいこと。地元に今更帰る勇気がないこと。
色んな事がぶつかってくるのに相談できない。心の中では思っているのに、言えない。結局あっという間に帰省も終わり、エセ関西弁生活に戻っていた。
でも、心の中では今でも実家に帰りたいと思っている。それから地元に帰りたいと強く思いつつ、仕事にやりがいを見つけたこの旅は忘れられない思い出。