旅をしたい、と思うようになったのはいつからだろうか。
私はもともと外に出ることがあまり好きではない。というより、環境が変わることへの不安感が、他の人よりも強いのだと思う。
日常生活においてさえ、変化することがとても怖かった。引っ越し、進学、新しい友人、新しい恋人。今までと違う何かが私の前に現れるたび、期待以上の不安を抱えてしまうのだ。
いつまでも、ぬるま湯に浸かるように、同じ環境で同じ人々と似たような日常を繰り返すことができれば、私の心は揺らがない。それこそが、私の望むことであり、私にとって一番良い状態だった。いや、そう思い込んでいた。
旅がしたい。旅番組に映る全てが眩しく、日常が息苦しいものに感じた
ある日、とある旅番組を見ていた。世界の街を旅人の目線で歩き、人々と触れ合いながら街の日常を伝えていくという内容のものだ。母が好んで見ている番組だったため、私も一緒に見ることが多かったのだけれど、その日は何だか今までと違っていた。
その番組に映る景色、建物、食べ物、人々、全てがすごく眩しく感じたのだ。それは単純に、このコロナ禍で前にも増して家にばかりいた私が久しぶりに目にした、色鮮やかな外の世界だったからかもしれない。
けれど何にせよ、私の周りで行き交う人々や目にする景色とは全く違う、その空間全てが不思議なくらい魅力的に感じて、同じことばかりを繰り返している自分の日常が驚くほど息苦しいものに感じたのである。そして、強く思った。私も旅がしたい、と。
どこの国に行こうか、それを想像するだけでワクワクした。今の状況で国を超えることは難しいから、国内の方が良いな。世界という大きな視点で見たら、日本は小さな島国だけれど、私の狭い視点から見たら、日本だけでも果てしなく広い空間だ。
録画してあるその旅番組を全て見た。似たような旅番組も見漁った。私の待受は、好きなアイドルから景色に変わり、検索履歴は旅に関することばかりになった。そうして募った旅への憧れは、私の中でどんどん大きくなった。
旅への思いが自分を励まし、視界をぐーんと広げることができる
そして……未だに膨らみ続けている。そう、つまり、まだ旅に行っていないのだ!
え?と思った読者のみなさん、ごめんなさい。私が旅に行くような勇気と勢いを持つには、もう少し時間がかかりそうなのです。
でも、この旅への思いを膨らませる時間は、私にとって大きな意味を持っている。日本に、世界に、到底調べきれないほどの、一生かかっても行ききれないかもしれないほどの場所があること、そして一つ一つの場所に色々な人の生活があり日常があること。
そのことを思い知るたび、私の視点はぐーんと広がる。悩んでいたことも、悲しかったことも、この大きな世界を軸にして見たらちっぽけなことじゃないかと、自分を励ますことができるのだ。
そして、旅に想いを馳せるたびにこう思う。
私たちはどこへだって行けるのだと。もちろんお金や時間は必要だし、身体はそう簡単に移動できないかもしれない。でも、少なくとも私たちの魂はいつだって、自由に世界を巡れるのだ。
スマホやテレビの画面を通して、私は今も日本中を、世界中を旅している。いつの日か、その地を自分の足で踏むことを夢見て。
変化の先に何かがあるはずだから。浸かっているぬるま湯にさよならを
同じ環境にいることは心地よい。変化がないぶん、傷つかないから。私にとって優しい場所と優しい人々に囲まれて過ごし続けることができるなら、それは何て穏やかで幸せな日々だろうと思う。
けれど、生きていく限り、変化を免れることはできない。自分が望もうが望まなかろうが、時間は経つし周囲は変わってしまうのだ。だから、私は今浸かっているぬるま湯から上がりたいと思う。冷水や熱湯を浴びたとしても、その温度や痛みの先に、きっと何かがあるはずだから。変化を受け入れることを恐れてばかりの自分とは、もうさよならをしたい。
少なくとも、2022年の目標は、近場でいいから旅すること、にしようかな。
きっと達成してみせるから、次はその旅の報告をぜひ聞いていただけたらと思う。