「ああ、うるさいなあ」
そう思った。私はその時、空港にいた。他人のざわめきが耳に入り、その意味が分かる。得も言われぬ気持ち悪さがあった。
それは、私が日本に戻って一番に思ったことだ。

息苦しさから逃げるために決断した中国への留学は、私の唯一の反抗で

「ここではないどこかへ行きたい」
そんな逃避願望のようなものが、常にどこかにあった。大学こそ県外だったが、自宅から中途半端に近かったせいで、自宅から新幹線に乗って通っていた。どこにいても息苦しさがあり、いつでも少し、ここから消えたいと思っていた。
中国への留学を決めたのは、そんな息苦しさから逃げ出したい一心だった。

「どうして中国なの」
友人に訊かれた。どこでも良かった、なんて言えなかった。
「そんな話聞いていない!」
両親からはそう怒られた。言っていないんだから当たり前だろう。判子だけ押して、と書類を押し付けた。反抗期がなかった私の、唯一の反抗だった。

そんな形で決まった留学は、まるで天国だった。
言葉は分からない。
友達もいない。
スマートフォンだって使えない。
けれど、それで良かった。
特に、言葉が分からない事が良かった。街を歩いていて聞こえる言葉は中国語。「聞こう」としないと、なんと言っているか分からない。それが良かった。

「聞こうとしなければ、聞こえない」幸せに気づけた留学生活

気にしいの性格であることは、前から自覚があった。例えば地下鉄で、目の前の二人がクスクス笑い合っていたら、それは私のことを笑っているのだろうと思うし、講義室でひそひそ声が聞こえたら、それは私の悪口を言っているのだと思ってしまう。
こればかりは、もうどうしようもないのだ。私は他の人より少しだけ耳が良く、小さな声もよく聞こえる。

中国では、それがなかった。
聞こえないことがこんなに幸せなことだとは思わなかった。誰も私を傷つけない。誰が私を傷つけようとしても、気付かなくて済む。

中国は自己主張が激しいと感じた。それは中国に住むすべての人が、である。もちろん日本人だって。だから私も、好き勝手言うことができた。
私はこうしたい。
私はそれをしたくない。
日本にいるときは言えなかったそれらを、中国では自由に言えた。誰も嫌な顔をしなかったし、たとえしていたとしても、「どうせ一年後にはいなくなる」と思えばどうでもよくなった。

次第に言葉も覚え、友達もでき、スマートフォンも契約し、日本にいたときに近づいていった。けれど、全然違うものだった。聞こうとしなければ、まだ聞こえない。幸せなことだ。
そして、全て自分の意思で決めた場所、友人、出来事。
やっと逃げ出せた。そう思った。

逃げ出してよかった。旅は、生きるのが苦手な私の大切な手段だ

幸せな時間というのはすぐに過ぎ去るもので、留学の一年はまるで一瞬で過ぎ去った。
「また、必ずここに『帰って』きます」
学校の終業式で、私は泣きながら担任へそう伝えた。
「『帰って』来てくれるのね。嬉しい。待っているね」
担任は優しく笑ってそう返してくれて、ああ、私はやっと自由になれたのか、とまた泣いた。

卒業して少ししたら、また中国に「戻る」つもりだった。けれど、新型コロナのせいで、私はまだ帰ることができていない。
留学中に出会った友人とは、未だに交友が続いている。その友人は、私がなんでも打ち明けられる、誰よりも大切な友人になった。
逃げ出して良かった。今でもそう思う。そして、日本に着いた時のなんとも言えない不快感を、私はこれからも忘れたくない。私がこのままここにいたら、いつか苦しくなって死んでしまう。そのことを忘れないために。

私にとっての旅は、生きるのが下手な私が、ここから逃げ出すための唯一の手段だ。
早く逃げ出そう。ずっと、そう思っている。
早く逃げて、そして私が私らしく、耳を塞がずに生きられる場所へ行こう。
その日を夢見て、私は生きている。