父に伝えたいことは、いつも伝えている。
「健康でいてね」「ありがとう」「大好きだよ」
父と私は一般的に見ても仲の良い親子だと思う。

休日は必ず母に代わり家事をし、私の恋愛相談や仕事の悩みも聞いてくれる父。
心配性でときどきかなり口うるさいけれど、良い関係を築けていると思っている。
実家に帰るとよく話をするし、普段もたまにLINEや電話をする。
だけど、今日にいたるまで父に1つだけ、伝えられなかったことがあるのだ。

アメリカの大都市へ留学。費用面は全て両親が支えてくれた

私は大学時代にアメリカに交換留学をしていた。
10ヶ月の間家族と直接会わず、1度も帰国もしなかった。
週末にはスカイプを使って母と話をし、父が家にいるときは3人で話をしていた。

良いルームメイトに恵まれ、アメリカでの生活も毎日が新鮮で楽しく、幸いホームシックにはならなかった。薄情かもしれないが、週末に画面越しに顔を見ていたおかげか、家族に会いたいと思うことも特になかったのである。

現地の大学生に交じって受けていた授業の単位を取るのは少し大変だったけれど、お金の心配は一切しなくて良い生活。奨学金を少しはもらっていたが、アメリカの大都市での生活にはとにかくお金がかかった。物価が高いせいと、私のちょっぴり考えなしな性格のせいで月の生活費は10万円を超え、それに加えて12万円の家賃がかかっていた。
それでもお金の心配はさせずに楽しんでほしい、と私を支えてくれていた両親には心から感謝している。

帰国した私を迎えてくれた父が見せた顔。不器用な父からの愛を感じた

特に危険な目に合うこともなく無事に10ヶ月の留学を終え、どでかいスーツケース2つと3キロ増えた体で日本に帰ってきた5月。
長時間のフライトでヘロヘロになりながら荷物を受け取り、空港の出口で待つ父を探しに歩いた。

その日は日曜の夜で、それほど人は多くなかったのですぐに父が見つかった。
そのときだった。
近づいてきた私を見た父が、見たことのない顔をしたのだ。

陳腐な表現しか浮かばず恥ずかしいのだが、「愛していると口に出さずに表現するとすればこうなる」という表情だった。
留学生活を謳歌していることは父も知っていたけれど、私がいたのはアメリカの大都会。
いつの日だったか、喧嘩したカップルが学生寮で銃を振り回していたという話すらあるような場所だった。

大丈夫だとはわかっていても、毎日多少は心配だったのだろう。
少しぽっちゃりしてのほほんと帰ってきた娘の姿を見たときに思わず溢れた、心から安堵したやさしい優しい顔だった。

留学から帰ったら「お金を心配せずに留学に行かせてくれてありがとう」「楽しく過ごせたのはパパとママのおかげ」と伝えようと思っていたのに、言えなかった。
わかりやすい愛情表現を頻繁にするような父ではない分、初めて見せた表情に私は完全に面食らってしまったのだ。

親孝行をして、これからは私から父に感謝を伝えたい

昭和生まれで、いわゆるアメリカンな家庭のようにハグすることもなければ「大事な娘だよ」といった台詞も言わない父。
愛情を注がれていると改めて認識したあの日の顔を、私は一生忘れない。

留学させてもらって金銭面や精神面でたくさん支えてもらったのに、父にまだ言えていない「ありがとう」。
あの日の「ありがとう」はもう時間切れかもしれないけれど、これからはたくさん親孝行をして感謝を伝え続けようと思う。

だからこれからも健康で長生きしてね。
ママを大事にして、あまり無理をしすぎず楽しく過ごしてね。
パパの娘で本当に良かった。