接客に関わる仕事をしている。
どんなお客様にもサービスは平等でなければ、が私の信条だ。
ある日乗る予定だった電車を逃してしまった私は駅から少し歩いた所で1台のタクシーを停めた。

運転手の態度はあからさまで。私は今、この人に舐められていると確信

「お願いします」
そう言いながら乗り込むと自分の父くらいの年齢の男性運転手が、
「どこまで?」
と気怠そうに聞いてきた。

人は声色や態度からその人の気持ちを察する能力があると私は思っている。私は今この人にベロベロに舐められている、そう確信した。

「◯◯町の、◯◯という施設の隣のマンションまでお願いします」
私が行き先を伝えると返事もせずにタクシーは走り出した。
「ここで曲がっていいの?」
「いえ、次の信号の先で曲がった方が近いです」
要所要所で確認はしてくれるものの運転手からの返事はない。

「あそこの自動販売機の近くの停めやすい所で停めてください」
「1460円ね」
「1500円からお願いします」
「はい40円」
「ありがとうございました」
バタンとドアを閉めながら走り去るタクシーを身送った後、お腹の中のモヤモヤがシュンとはじけた。

私が若い女ではなく、逞しい男性なら。運転手は同じ態度をとったのか

「なんだその態度は!私は客だぞ!」という横柄な気持ちではない。これは「私があなたを思うのと同じくらい、私のことも大切にして欲しかった」と残念に思う気持ちに近い。

金銭のやり取りが発生する以上、払う側が立場が上になってしまうように感じるが、そうではないと私は思う。求めるサービスが提供されることへの感謝の気持ちを込めて、客の立場でも同じくらい丁寧に対応したいと思っているのだ。

だからこそ上記のような場面で、「私がもし若い女ではなく一見強面の逞しい男性だったら、こんな対応される事はなかったのではないか」と脳裏によぎる瞬間がとても嫌なのだ。
あなたが他の客に接する時のように、気持ちの良い言葉と態度で同じ対応をして欲しい。ただそれだけなのに、何故こんな気持ちになるのだろう。

そんなふつふつと込み上げる怒りをお腹に溜めることに疲れた私は、これはなんとかしなければと怒りと上手に付き合う事に決めた。

運転手の「どこ行くの?」に「コンビニの前でいいよ」と

ある日。例の如くタクシーを停めて乗り込む。
「どこ行くの?」
優しいニュアンスのやわらかな笑顔で発する「どこ行くの?」ではなく、朗らかとは程遠いイライラした声で行き先を聞かれる。以前と同じパターンだ。
「◯◯駅までお願いします」
私は目的地を伝えた。
「◯◯駅は駅口?裏口?どこ?」
なお苛ついた様子で怠そうに喋る運転手に、意を決して私は言った。
「裏口。裏口のコンビニの前でいいよ」
突然雑な口調になった私に驚いた運転手が、バックミラー越しに私をチラッと見たのがわかった。

「あ、裏口のコンビニはセブンじゃなくてファミマの方ね」
私が続けて言うと、
「……はい」
舐めてかかった女にこんな態度をされるとは思ってなかったのだろう。私はただ淡々と運転手の鏡となった。

雑な時は雑に、丁寧な時は丁寧に。同じ口調と態度で返すことを心がけると、男はさっきの気怠い態度が嘘のようにしおらしく目的地まで運んでくれた。
「2160円です」
「ちょうどあります、ありがとうございました」
タクシーを降りた後は、とても清々しかった。

運転手の中にある客の線引きを飛び越えてやった、清々しさの理由はその達成感かもしれない。
「若いから」「女だから」「大人しいから」いくつもの理由をつけて品定めし、「だから、適当にあしらってもいい。気を遣わなくていい」その基準を作り上げる事は間違っていると私は思う。
私は若くて大人しい女ではなく、1人の人間なのだから。

こういった気持ちになる度に、自分の意思できちんと 怒りを支配していこうと思う。その先に私ではない誰かの悲しみが減る事を願って、これからも私は静かな鏡になる。