どちらかと言えば私はあまり旅に出る人間ではない。それどころか移動すら厭う人間で、数日部屋に籠りきりでも全く構わないタイプだ。
それでもここ数年は親しい人に誘われれば、のこのこ山へも海へもついていくようになった。旅というものへの捉え方が変わったからかもしれない。

旅とは、スタンプラリーのように観光地を回って写真を撮ることだった

小さい頃、旅といえば書店の雑誌だった。蛍光色の土地名がどんと上方に構え、下の方には所狭しとその土地の特産が寄せ集められている。最近は可愛らしいデザインのガイドブックもあるが、まあ、私にとってはどちらも同じことだった。
旅とはガイドブックに掲載された建造物や栄えた通りをスタンプラリーのように回って行くこと、そしてその土地に行った証明として写真を撮り、お土産を買うことだった。パックツアーの旅などはまさにそうだと思う。

中高の修学旅行を含め、そういった旅を私は何度か繰り返した。もちろん、それはそれなりに楽しかったのだが、少しくたびれてしまったのも事実である。
さあどうぞ楽しんでください、ここにはこんなに楽しいものがありますよ、と差し出されると楽しまないのも失礼だろうと肩に力が入ってしまい、結局は何を見たのか聞いたのか、ただその土地を訪ねましたという称号だけが残って大変だったということばかり思い出す。
まるで工場で製品が一つ一つの工程をクリアしていくような旅だった。これは行く側も迎える側も本意ではないだろう。

旅の印象が変わったのは、大学生の頃に訪れた秋田県がきっかけ

やはり自宅こそ最高である。私が出した結論はこれだった。しかし、私の旅の印象を変える出来事があった。
大学の時にサークルの仕事で秋田県を訪れる機会があったのだが、東京の大学生数人で地元の高校生との交流をするという日帰り出張だった。
詳しい場所は覚えていないのだが、田沢湖を見たから、その周辺だったのだろう。気の知れた先輩後輩たちと前夜に東京駅を出発した。たまたま全員が南国育ちだった私たちは、眠れない車内で冬の東北の寒さに少しの不安と大きな期待を抱いていた。明日の朝にはきっと、夜行バスを降りるとそこは雪国であった、となるのだろう。

うとうとしながら数時間後、閉められたカーテンの外から漏れ出る光に期待は最高潮になった。運転手の「終点です」という声に私は急いで膝掛けにしていた分厚いコートを羽織り、いそいそとバスの細い通路を抜けた。

雪はなかった。寒い。確かにこれは私の知らない北国の寒さだった。しかし、目の前に広がるのは冬枯れの田畑、雪は一切なかった。
唖然としている私たちを他所に車で迎えに来てくれた先生がすまないね、と先生のせいでもないのに謝っていたのを覚えている。
その年は稀に見る暖冬で、さっぱり雪が積もらなかったのだそうだ。道路は凍結こそしていたものの、道はコンクリートで黒々としている。

期待を裏切られて感動した。これが旅の醍醐味だと初めて知った

そのとき高校生は勉強合宿をしていて、一つのコンテンツの提供をするのが私たちの仕事だったのだが、わざわざ東京から来てすぐさまそこに向かうのも味気ないだろう、と先生が田沢湖を車で一周してくれた。
皆寝不足の車内で、かといって眠るわけでもなくぽつぽつ喋りながら向かったのだが、田沢湖の周囲の山が車窓に見えたとき、その北の山の、仄青い稜線にぼんやりと白い雪がかかっているのが見えて皆わっと盛り上がった。私たちは、そのときようやく雪国に辿り着いたのである。

これが私の一番印象的だった旅だ。観光が目的だったわけではないのもあるが、格別有名な観光地を見たり名産を食べたりしたわけでもない。しかし勝手に心づもりしていた期待を見事に裏切られたこと、実際に目にした時の感動。きっとこれが旅の醍醐味なのであろう。
秋田に旅に出たなどと人には言えないかもしれない。写真さえ残っていない。でも写真映えのしない、こうした新鮮な驚きを得るために私には旅が必要なのである。