昨今、女性の自立や社会進出、雇用機会均等法など男女平等への動きが加速している。制度や実態はまだまだ追い付いていないのに、思考はどんどん進んでいて、デート代は割り勘だとか結婚後も共働きが主流だとか、女性の経済負担は大きくなっているような印象を受ける。

あえて言いたい。私は奢られたいし、レディースデイも活用したい

そんな中、私はあえて言いたい。
私は奢られたい。結婚後も私の収入をあてにされたくはないし、レディースデイも活用したい。そんな事をいうと、いまどき時代遅れだとか男に寄生するなんてと言われがちだが、今年はその価値観を持っていることを自分で受け入れたいと思う。
誤解されたくないのだが、私は自分で稼ぎたいし、奢られて当然とも思わないし、結婚後も仕事は続けたくて、どちらかというと好きな人には自分からどんどんプレゼントもあげたいタイプの人間だ。
なのになぜなのか。きっかけは仕事だった。

コロナ禍で、私が今までいた舞台業界というのは酷く落ち込み、今は回復しつつあるものの、元からブラックでごく一部の人を除けば経済的にカツカツだということは多くの人の想像に難くないだろう。
裏方の私は自分の仕事が大好きだったし、もっと経験を積んでプロフェッショナルになりたい!と頑張ろうと思っていた矢先のコロナだった。一旦舞台を離れ、非正規で大手企業の事務職になり、いつ戻ろうかと様子をうかがっていた時、色んな疑問が浮かんできた。

実態はこんなに経済格差があるのに、思考ばっかり男女平等なんて無理

こんなに男女均等が叫ばれても、周りをみれば非正規雇用はほぼ女性だけ、その会社の正社員への道は新卒採用のみであったり、一旦男女格差の大きい時に世に出た女性が今更平等を求めても、世の中そんなに上手くは出来ていないのだ。

もちろん経済格差は明らかで、だけど女性は身だしなみを整えるだけでも男性より一般的にお金がかかるし、家賃だってセキュリティ面を考えれば節約にも限界があって、妊娠すればどうしたって仕事を休まないといけないのは女性だ。男性がいくら育休を取ろうが、産休を取らないと産めないのは女性に変わりない。

今までは個人事業主だらけの実力主義の世界にいて、しかもブラックなのも仕方ないみたいな諦めがあったので気付かなかったのだが、実態としてはこんなに男女の経済格差があるのに、思考ばっかり男女平等なんて無理じゃないか、と。

自立する女性であろうと、意固地になる必要はないと気づいただけの話

思えば、舞台の仕事もそうだったのかもしれない。裏方のスタッフ陣で女性で上に立つ人たちは皆、実家が太かったり、今は自分で稼いでいてもスタート地点では経済力のある家庭があってこその働き方ばかりだった。じゃないと続けられなくて、上に行くまでに辞めていく人たちを何人も見てきている。
私自身も、貧困層ではなかったし、都内に実家があることを条件に仕事ができていたことは否めない。でも、本当は完全に自立したいのだ。ちゃんと稼いで、自分のことは自分でまかない、経済的に誰かに頼らずに済む人でありたい。
だけど、それは今すぐにできるのだろうか?

私は元いた業界に戻りたいと思っている。戻ったらきっとそれは難しいだろう。でも、社会が変わるのを待つよりも、そこで働きながら自分で社会を変えていく方が何倍もいいんじゃないか。
今までは、その間カツカツでも自力で頑張る方が偉いと思っていた。基本デート代も意地で割り勘にしたがったし、結婚後も仕事はしたいし、なんなら相手を養えるくらいになりたいと思っていた。
仕事を続けたいのは今も変わらない願望だけど、他はそんなに意固地になる必要なんてないんじゃないかと気付いただけの話。意固地になって自立する女性であろうとしたって、まだ社会はそんなに上手くできていないし、下手したら業種によっては仕事を続けられなくなる可能性の方が高いんじゃないだろうか。

男女平等の意識は良い。でも現状は?ただ少し疑問を投げかけたい

それだったら、最新の価値観に逆行しようが、私はデートで奢ってくれる人の方が嬉しいし、結婚しても仕事をするしないの選択権をこっちにくれる人が良いと思う。
こっちの収入をあてにするような人よりも、収入の如何に関わらず(要はそんなに稼げなくても)好きにのびのび仕事をさせてくれる人の方が快適に決まってる。だって実際、経済格差まだまだあるじゃないか。出したくないわけじゃない。出世払いで絶対恩返しはしたいと思う。

現状の、男女平等の意識はとても良いことだと思っている。ただ、奢られたい女はどうなんだ、時代遅れだ、といった流れには少し疑問を投げかけたい。本当は平等でいたくてもいられない現状がまだあることを知ってほしいし、私自身波に飲まれて無理して価値観を持っていたような気がするのだ。
現実には平等に稼ぐのはまだまだ厳しい女性が多い。少しは甘えた考えを持っていても悪くないんじゃないか、今年の私は無理せずその価値観を自分に認めてあげたいと、そう思うだけなのです。