生きる意味は何だろうか。

誰しもが一度は考えてしまうのではないかというこの無意味な問い。
そんな考える必要のない問いが、ずっと頭から離れなかった大学時代。
「自分の命ならば、自分で決めて良いのではないか」
「無理に無駄に生きることは必要ないのではないか」
心では絶対に違うと思いつつ、なかなか頭では理解ができなかったこの問いに関して、一つの本が私に答えを教えてくれた。

どんな絶望的な状況にあっても、彼は「生きることは義務だ」と説く

それが、「それでも人生にイエスと言う」という本。
夜と霧で有名な作家が、ナチスドイツの迫害を受け、人間とは思えないような扱いを受け続けた後に筆者が生きる意味について書いた本である。

何故人は生きなければいけないのか。
あまりに劣悪な環境にいる中で、本当に生きる必要はあるのか。
今の時代考えられない状況であって、自ら命を絶つ人や、周囲に懇願して命乞いをする人や、自己保身のために平気で裏切る人をみながらも、それでも彼は「生きることは義務だ」と説く。
それは彼が強制収容所の中でも決して希望を捨てることなく生き続けた中で彼が辿り着いた紛れもない答えであり、これは彼の信念に近い答えである。
どんな絶望的な状況にあっても生き続けなければいけないのだと。
(このメッセージの深さは是非本を読んで体感してほしい)

そして何故生きなければいけないのか、という理由も本書には書かれてある。
「あなたが人生をどう生きるのか問うのではなく、人生からあなたはどういきるのか、と問われているから」という理由だ。

自分が人生を問うのではなく、「人生に問われている」とは何なのか

正直最初に読んだ時はあまりに意味がわからなかった。
「人生に問われている」とはどういうことか?と。
まだ、自分が人生を問うのならわかる。
でも人生に問われるとはどういうことなのか?

そんな疑問を持ちながら生きていると、だんだんその意味がわかるように思えた。
自分が生きるなかで、多くの経験や葛藤を通していろんな決断をする。
誰かと付き合い、仕事を選び、人との関係性に悩み、毎日全員が誰一人同じではない決断をする。
もしこの全員の人生が本になり、誰かが読んで、この本に出てくる人たちを紹介する場合「この登場人物はこんなひと」と説明するのには、その人がどう生きたかを見た上で紹介するだろう。
(たとえば、ムーミンのスナフキンを紹介するとき、スナフキンがルールが書かれた立て札を全て引っこ抜いたというエピソードを読んでいる場合、彼は縛られることが嫌いで自由を愛する人、と紹介するだろう)

そうなった時に、自分がどう紹介される人になりたいか、というのはまさに「人生」から問われていると言うことになるのではないかと思ったのだ。
人間は自由な存在で選べる存在だからこそ、「命をどう生きるかの証明、を、人生に対してしなければいけないのではないか」と思えた。
死というものをタブー視し向き合う機会のなかなかない現代だからこそ、この本は私に一つの答えを教えてくれた。

終わりのある人生の中で、どう生きるのかを証明しなければいけない

昨今SNSの匿名性を利用した誹謗中傷の話が後をたたない、今の世の中に絶望して自らの命を絶つ人もいる。
頑張り続けることを強要される中で、頑張って頑張り続けて疲れてしまって、ふと一瞬の気を抜いたときに、命を止めることが魅力的に思えてしまう瞬間が、誰にでもあるのではないかと思う。

そんな世の中においてだからこそ、自ら命に終わりを決めるのではなく、終わりのある人生の中でどう生きるのかを証明しなければいけないと思ったのだ。

生きる意味は自ら作らないといけない。
そう思ってこれからも生きていきたい。
自分が人生や生きる意味に深く悩んでいたときにこの本に出会えたことに本当に感謝をしているし、もし同じような問いをふとしたときに思ってしまう人がいたら是非この本を読んでほしい。
あなたの暗い洞窟のような意識に灯りが灯るのではないかと思う。