「君、もし内定とれなかったら、僕の奥さんになればいいよ」
その一言で、教授室の空気はきいんと凍てつく。
それは決してこの教授室が立ち並ぶ校舎が、コンクリ打ちっぱなしだからではない。それに今は夏の終わり。つい10分前まで私達は学内の冷房の設定温度の高さに文句を言っていたのに、何故か一瞬で鳥肌が立った。女子大生の集まる教授室が一瞬で養鶏場に変わった。
けれども私達がコケッコーと鳴きださないのをいいことに教授は、
「君、料理はできる?肉じゃがは作れるかな。やっぱり女性は料理ができなくっちゃね」
とケラケラと笑った。
大学4年生の9月初旬。就活を早々に終えて学割を駆使できる夏休みを過ごしていた生徒も、就活に苦戦を強いられ焦燥感に苦しめられている生徒も集まったゼミでの一幕だった。
小さな教授室には「就職先が決まらなかったらどうしよう」という青い顔でリクルートスーツの人と、「青い顔の面々にどう声を掛けたらいいかわからない……」夏らしく赤らんだ顔のリクルートスーツじゃない人と、就活の明暗というものが分かれていた。揚々と部屋の扉を開けてきた教授はそんな光景を見渡して、冒頭の一言を言ったのだ。
ひとりが笑って「やあだ、先生」と言う。どうやらそれが正解らしい
一瞬何を言っているかわからなかった。
そして意味がじわじわと分かってくると、今度はどう反応していいか分からなくなった。
エヴァンゲリオンの台詞じゃないけれど、「こういう時どんな顔すればいいかわからないの」。
そんな私達をよそに、50代で独身の教授は「3月までどこも就職先が決まらなければ僕のところに永久就職だ!なーんてね。あはは」とビール腹をぽんぽん叩き最高のジョークを言ったとご満悦。
「やあだ、先生。年の差がありすぎますよー」
リクルートスーツじゃないひとりが笑いながらそう言う。それがどうやらこの場での正解らしい。模範解答に倣って私達は「やあだー」とか「先生ったらあ」と口々に笑った。未だに内定ゼロの人も泣きそうになるのを堪えて、その場の空気に合わせて「先生ったらパパと同い年なのに」と口角を上げた。
先生は何も気にしていない態度で、そのままゼミの今後の予定を話し始めた。
優秀な教授なのだ。そうだこの人は優秀な教授なのだ……普段はいい人なのだ……これは悪気があるわけじゃない、時代によって価値観は異なるんだから仕方ないと、私は言い聞かせ続けていた。
母校は女子の中高一貫校と、付属の女子大である。
男子のいない生活は開放的で、箸が転げただけでおなかが痛くなるまで笑った日々は人生の財産といっても過言ではない。
だが女子校ゆえのおかしな……といういわゆる封建的な空気は、卒業して何年も経った今でも私の頭を悩ませる。どうしてあの時笑ったのだろうか?本気で怒るべき所だったのではないか?私達が言わないから今度は後輩たちもこの行き場のない感情を植え付けられてしまったのではないか?と。
式典で面白おかしく話す、来賓の議員。けれどその内容はぞっとする
その経験はこの教授だけではない。
入学式や卒業式に来る来賓の議員がいた。ほとんどの生徒が来賓の話なんて長くてつまらないからと半分寝ているのだけれど、この議員は「ハロー、みなさん。眠いでしょう」と手を振りつつ壇上から語りかけて面白おかしく話すので、未だに同級生で集まると「あんなおじさんいたね」と記憶に残っている。
けれど、その話の内容は今思うとぞっとする。
「僕には息子が3人いてね」
その議員はいつだって指を3本だして、息子の数を表しながら話し始める。
「どうしてもこの学校の卒業生をお嫁さんにほしいと思ってたんだよ。だってこの学校の卒業生のお嬢さん方はみんな気立てがよくていい奥さん、お母さんになるでしょう。
でも長男は違う学校の卒業生と結婚しちゃった、次男は嫁がなんと外国人。あちゃーと思っていたらようやく、やっと三男がここの卒業生、皆さんの先輩と結婚してくれました。
これがまあいい嫁でね。今僕の親の介護もしてくれてますし、子供のお弁当もちゃんと母親らしく手作りするし、旦那を立ててくれます。皆さんも先輩のように卒業して大人になっていい男を見つけて、いい奥さん、お母さんになってください」
価値観の右ストレートをくらっても、笑って受け流してきてしまった
毎年毎年同じ話を繰り返していたので、私はいまだにそのスピ―チを覚えている。そして心の中で毎度毎度「はあ?」と思ったが、やはり思い返すだけでも「はあ?」だ。
息子の嫁……の話のはずなのにまるで良い召使か女中かなにかを話すような語り口、そしてなぜこの人に「よい奥さんに、よいお母さんになれ」と言われなくてはならないんだろう。
女子校は女子を教育する場なはず……。でもその教育って優良な妻や母になる為の?そんなわけがない。けれども10年、女子校で日々を過ごす中でそうとしか思えない場が多々あっても、私達は何も言えないか笑って受け流してきてしまった。
学校だけじゃなく女というだけで価値観の右ストレートを食らい、ダウンしそうになることがある。
成人式の日に晴れ着を着て商店街を歩いていたら、八百屋のおじさんに「成人式か!早く結婚して赤ちゃん産めよ」と言われた。私は未だにそのことを思いだすと腸が煮えくり返るし、そこで野菜を買うのはやめたというのに私はその時も笑って返していた。
笑っているだけじゃ肯定だ。それはおかしいと教えなくてはならない
笑って返すというのは逃げだと気づいたのはここ数年である。
相手の価値観では「女は結婚するもの、子供を産むもの、育てるもの、家庭を守るもの」が「空は青い」位当たり前なのである。
だからそれはおかしいよと教えなくてはならないのである。笑っているだけじゃ肯定だ。場の空気が悪くなろうと「それおかしいですよ」と言わないと負の連鎖は止まらない。
あの頃は何の反論も出来なかったけれど、最近の私は年齢を重ねた分強くなった。
「お姉さんでっかいなあ、そんなんじゃ嫁にいけないだろ」
美容室へと向かう雑居ビルのエレベーターで先日、おじさんに掛けられた言葉だ。ヒットソングの歌詞じゃないけれど「はあ?うっせえわ」。170㎝近い私の身長をとやかく言われる義理はない、そして嫁にいけない……だなんて女が物のように嫁に行って相手の家仕様に作り替えられる時代なんてとっくに終わっている。
それを知らずににやにやと笑い冗談を言ったこのおじさん。むかつくけれど可哀想な人なのだ。いいわ、じゃあ哀れみとして教えてあげる、耳の穴かっぽじって聞きなさい。
私は笑顔で答えた。
「おじさんは、小さいですね、背も心も」