――主よ、変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ――
この言葉はアメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーによって語られたもので「静穏の祈り」とも言われている。

大学1年生で出会った「氷点」で、私の人生が変わった

私の人生を変えた本、それは三浦綾子の「氷点」である。「氷点」に出会ったのは大学1年生。ふと部活の先輩に勧められたのがきっかけだった。

北海道を舞台に、辻口病院を経営する父とそれを献身的に支える夫人が登場する。そしてそんな2人の間に生まれた娘ルリ子は3歳で殺害される。
父は幼いルリ子が殺害されたのは妻・夏枝が青年医師と逢引きをして目を離していたからだと復讐に燃え、また「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えに則り、犯人の娘・陽子を養子に迎え育てる。
すくすくと成長する陽子だが妻の夏枝は夫の行いに気づき、激しい憎しみや苦しさに葛藤する。青年期を迎える陽子も自分の出生について知ることとなり、自らの存在についてもがくこととなる。

氷点上下、続氷点上下の計4冊はキリスト教の「原罪」や「赦し」の概念を多少なりとも咀嚼しておくと読みやすいかもしれない。私は女子校中高6年間をミッションスクールで過ごしたので、聖書は自分にとって身近だった。

作品を通し人間関係を俯瞰。自分ごとのような親近感や人間味があった

人は誰でも「自分は罪を犯したことがない」と思うし、そう思いたい。
ここでの「罪」とは一般的な違法行為・犯罪行為を指すのではなく、憎悪、嫉妬といったネガティブな感情全般も包括する。陽子も「自分は潔白で正しく生きていた」という清々しく利発な少女に成長するが、自分が知らぬ間に、自分を捨てた父は自分の育て親の娘を殺していたと知った。
自分が知らないうちに罪を犯していることへの恐怖、償いきれないことへの絶望……それらが陽子にのしかかる。作品の中でそれぞれの登場人物が各々自分の軸、価値基準に沿って忠実に生きているが、それが交錯している様子が私にとっては恐ろしかった。

というのも私自身も一時的に他人の存在を考慮するにしても、自分が考えるベクトル、方向をあまり顧みることがないからだ。作品を通して人間関係を俯瞰すると、自分ごとと考えざるを得ないような親近感や人間味がある。
「氷点」を読んだ後は暫くの間考える時間が欲しくなった。

ラインホールド・ニーバーの祈りは、現代にも通じる言葉

しかし「氷点」シリーズ最後に救済の祈りの言葉が登場する。それが冒頭で記したラインホールド・ニーバーの祈りだ。
自分が変えることが出来るのか、それとも変えられないのかを見極める賢さと、変えるものは変える勇気、変えられないものは受け入れる冷静さ、これらは現代にも通じる言葉である。今の自分の生活を振り返ってみよう。

何を変えることが出来るのか、それはどのようにしたら変わるのかを模索する。変えられないものは何か、それはどのように自分の中に受容できるのだろうか。
氷点初版は私が生まれるより前に書かれた作品であるが、私は作中の陽子と悩みを共有し、自分の核となる言葉を手に入れることが出来た。自分の心の中にある「氷点」に気づき、受け入れ、過ごしていくことで「賢く」生きられるのではないだろうか。
今後も「氷点」は私の土台として生き続けてくれるだろう。