今年の私の宣言はシンプルに、死なないこと、家族を死なせないこと、だ。
なぜなら私は今年の初夏に出産する予定で、新しい命を守って育てていかなければならないからだ。

正直私は子供を生み育てることに憧れがあったわけではなく、むしろ避けて通りたいと思っていた。だってものすごく痛そうだし疲れそうだし。
かといって、私は絶対子供はいらない、仕事に生きる!と決意するほどでもない。

迷った結果、生める年齢は限られているので、20代の体力のあるうちに生んでおかなければ後から後悔するのでは?というやや後ろ向きな考えで出産を決めた。
そして今、自分で決めた出産なのに、不安に苛まれまくっている。

職場で毎日頭を下げる子持ちの先輩女性。男性社員では見たことがない

かつて私が仕事をしていた職場では、子育てしながら働く周囲の先輩女性は皆、張り詰めた顔をして猛然と仕事をしていた。
毎日、すみませんすみませんお先に失礼します!と頭を下げながら子供のお迎えの為に走って職場を後にする。

私が妊娠したことを知ると、皆「良かったね!」と言ってくれるが、そのあとに必ず「これから本当に大変だよ!」の一言がセットになって発せられるのだ。それを聞いて不安になるなと言う方が難しい。

私の記憶する限り、彼女達が職場で「すみません」と言わなかった日は1日もなかったと思う。
一方で、子供のいる男性社員が「すみません」と頭を下げて職場を後にする姿は、一度も見たことがない。

年明けに妊娠6ヵ月に到達し、どうやら私の体内の我が子は男の子らしいと分かった。
もちろん、性別は外見のみでこちらが勝手に判別したものにすぎない。
生殖器が男性のものでも、本人が自分の性をどう捉えているのか分かるのは、数年先になるだろう。

男の子みたいですね!と言われた瞬間に、子供が生まれたばかりだろうが熱を出そうが、決して早退せず毎日残業し、飲み会にもせっせと顔を出していた男性社員達を思い出す。あんな大人になってほしくないな、と喜びよりも先に暗い気持ちが沸いてくる。

男の子らしく、女の子らしく。育て方は男女2種類だけなのはなぜ?

では、そんな大人(父親)にならないためにはどんなふうに育てたらいいのだろう?

不安になって年末の本屋へ足を運んでみた。ネットでも探し、何冊か購入してみたところ、育児本は多種多様ではあるものの、新生児のうちはどれも大差ない内容だ。
けれど、1歳を過ぎると、男の子の育て方、女の子の育て方、といった具合に分かれていくことに気が付いた。

性別によって子供の育て方は変えないといけないのだろうか?そもそも男女2種類だけなのはなぜ?
そんな疑問を持っているのは私だけらしく、実母や祖母、義理の両親親族は皆、男女の育て方は違って当然だと言う。

「男女は全然違うんだ、男の子は甲斐性がないとダメだ、女の子は気が利かないと嫁に行けん」
「男の子なら赤ちゃんの服は青ね、ランドセルは黒いのを買うわね、おもちゃは機関車と変身ベルトとかどうかしら?買ってあげるわ!」

祖父母らに悪気は全くない。男の子のランドセルは黒一択なのが当然で、それ以外の選択肢があることを知らないだけだ。いや、もし知っていたとしても選ばないだろう。「周りと違うなんて浮いて虐められるわ、可哀想よ!」と。

子供が周囲から浮いてしまったら?本人の選択を守ってあげられるだろうか

私は出産も育児も全くの素人だ。子供が可哀想!と言われれば、思わず子育て歴数十年の祖父母の意見に、何も考えず従いそうになる。
けれど、本当にそれでいいのだろうか。

私は恐竜のフィギュアと着せ替え人形を闘わせて遊び、「女の子なのに気が利かない」と散々嘆かれ、赤いランドセルは飽きて黒いリュックを背負って登校していた"らしくない女の子"だった。
それでも浮きも虐めもされなかった私はただ運が良かっただけなのかもしれない。

将来、我が子がおままごとセットや赤いランドセルを欲しがった時、私はどれだけ本人の意見や選択を守ってあげられるだろうか。
本人の選択の結果、浮いて虐められるようなことになった時、それみたことか!と言われたら、何と返せばいいのだろう……。

どんな子供に育ってほしいかなんて決められない。ただ生きていてほしい

はたして私は息子にどんな大人になってほしいのだろうか。そもそもそんなことを考えるのもおこがましい気がしている。

子供は自分の意思で生まれてきたいと思って生まれてくるわけではなく、100%、親の都合だ。あまり考えないようにしてきたけれど、それってものすごく責任が重いような気がして、今更ながら怖じ気づいてしまう。

考え出すときりがない。そして明確に答えも出せそうにない。きっと10年20年たった後に、あの時の判断は間違ってたとか、もっとああすればよかったなんてくよくよ悩むのだろう。

けれど、悩めるのは生きていればこそだ。人の力ではどうにもならないこともあるけれど、まずは私も子供も、生きていくことを今年の目標にしたい。