子どものころから、よく海外を旅する夢を見ては、起きてがっかりした。だから、その話を聞いたとき、「これも夢だ」と思った。
高校1年生、吹奏楽部の私たちは、顧問に突然集められた。私は真っ先に、赤点だらけだった自分の期末テストのことを思った。次に、日ごろからおろそかにしている宿題のことを思った。私たちは、呼び出されるには、心当たりがありすぎた。
妙な緊張感に包まれた中で、顧問は唐突にこう言った。
「ポルトガルに行きます」
突然訪れた海外への旅。夢の中の世界が、ついに現実になるとき
言葉の意味を理解するのに時間がかかった。今度こそは夢ではなかった。
ポルトガルで行われる「ジャパンウィーク」という日本の文化に親しむイベントに、私の学校の吹奏楽部が招待されたのだ。
募金活動をしたり、演奏会を開いたりして資金を集め、やっとの思いで念願のポルトガルに降り立ったときのことは、一生忘れない。
「テレビや雑誌でしか見たことがない風景に、自分の目を疑うようでした。おもちゃのようにかわいらしく、きれいな色をした家々が並び、その上をカモメが数羽飛んでゆきます。澄んだ湖の上にはボートが浮かんでいて、乗っている人々は皆楽しそうに話しています。
それはポルトガルで毎日繰り返されている風景のようでしたが、私にはとても新鮮で、まるで夢の国にいるようでした」
これは実際に私が帰国した直後に書いた、およそ11年前の旅行記の抜粋である。ついに、夢の中の世界が現実になった。
この地球に生きる人たちが、みんな幸せであってほしいと祈った日
本番は、9時間の時差や乗り継ぎしながら1日半乗ってきた飛行機での疲れをふきとばす楽しさだった。身を揺らし手拍子をする人、立ち上がって「ブラボー!」と叫ぶ人、日本語で「アリガトウ」と言ってくれる人、抱きしめてくれる人……。
「音には生命がある」をモットーにやってきた私たちが、言葉も通じない人々との間に生命を生み出した瞬間だった。一生懸命やったことをこんなにたくさんの人に認めてもらったのは初めてだったので、うれしくてうれしくて、手あたり次第に「オブリガーダ(ありがとう)!」と伝えた。その後も観光をしたり、現地の高校生と交流したり、またとない体験をした。
いよいよ帰国の日となり、数日前に来た道を引き返す。私たちの歩く道を、もう二度と会わない人たちが通り過ぎてゆく。
並び建つ家々と、洗濯物、ベランダに置かれた自転車。ボートのひもを引く人、路面電車に乗り込む人。そのすべてが現実で、無数の人々が私の知らないそれぞれの人生を送り、別の人生を歩んできた私と交差した。
自分がいる場所でも、地球の裏側でも、今起き出している人たちも、今から眠りにつく人たちも、無数の人がたったひとつの人生を歩いているんだ、とふいに私の細胞のすみずみまでエネルギーが流れ込むような心地がして、よくわからないけれど突然泣きたくなった。その事実がとてもすごいと思ったし、愛おしいと思ったし、今頃夜の闇のもとで寝ている家族や友達に無性に会いたくなった。
この地球に生きる人たちが、どうかみんな幸せであればいいと思った。
決して偽善でも大げさでもなくこんな祈りを抱いたのは初めてで、照れくさくて誰にも言えなかった。
これまでさまざまな場所を旅したけど、思い出すのは必ずポルトガルで
大人になった今だって、ポルトガルには行ける。でも、あのときの気持ちはあのときだけのものだし、間違いなく私の心に種をまいた。
それから現在に至るまで、国内外問わずさまざまな場所を旅したが、必ずこの旅のことを思い出した。旅先の家の窓や車や人を眺めながら、私の知らない無数の人生のことを考えずにはいられなかった。
地球の裏側で眠っている人のことを思った。あのとき私たちの演奏をきいてくれた人が、この地球のどこかで今日も生きている。世界にはたくさんの生命があふれていて、それぞれの人がたったひとつの人生を歩んでいる。
そしてどこかで交差することがあるかもしれないし、一生交差しないかもしれない。私の人生を変えた旅のために動いてくれた家族、友達、先生、その他のたくさんの名も知らぬ人たち、ありがとう。
そして、私にたくさんの生命の存在を教えてくれたポルトガルへ、オブリガーダ!どうか今日もみんなが幸せでありますように。